カテゴリ:書庫まつり(12)( 11 )

20夜 復興の街


311以来、初めて高速道路に乗った。そして初めて県外に出た。わたしは浦島亀子か。

今年も一箱古本市に参加、Book! Book! Sendai! の実行委員は
「いつもの日常がどんなに大切なものかを考えよう」と、中止にしないで開催を決めた。
準備中の期間はおそらくまだ震災の傷痕が生々しくて、街中が意気消沈していて、
開催への意欲を鼓舞するのには力が要ったことだろう。
しかし昨年同様、六月の仙台は本の月と定めてそのひとつ一箱古本市の参加者を募った。
参加者は約四十組。

坊さんと王様と三人でおもいおもいに一箱分の店を出し、
おもいおもいに商店街の通りを歩いて足を止めるお客と接した。
仙台は東北の復興のさきがけとなる大切な都市だ。
お洒落してデパートの買い物袋を提げている人々を見ると、
震災の傷はまだ各地で渦巻いているけれども、この街は歩き始めたのだということが感じられる。

翻(ひるがえ)って福の島の重たさはどうだ。
山ひとつむこうでも避難が始まった。
浦島亀子のわたしは、明るさを取り戻しつつある仙台ですこしだけ立ち尽くし、
ほんのすこしうらやましさを感じ、そして仙台は仙台なりに血だらけで歩き始めたことも知った。
福の島は復興にはほど遠く、今日と明日のことはわかっても、あさってのことがわからない。
希望を持とうにも持つ端から取り上げられているような日々だ。
あさっての見えかくれする街やなにもかも失くしてもあさってだけはある、そういう所には
前を向いて歩いてくれと願ってやまない。

帰りの高速道路のパーキングエリアで、初めてボランティア・バスを見た。
いつもは自衛隊の、行方不明者捜索と原発立ち入り禁止区域の警備に向かう災害派遣車、
そして避難しているコミュニティの子どもたちがいくつかにばらけて通うスクールバスを見ている。
放射能で手をつけられない瓦礫にはまだボランティアに入れない所が多くあるので、
体を張って働きに行く彼らを生で見たことがなかった。
・・バスが光って見えた。夕方だったからなのだと知ってはいるけれど。




□うろん書店
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それにしてもわれながらいい名前の屋号だなぁ。名付け親に謝謝。
準備した本は舞台、美術、文学などなど。王様は久世光彦や国枝史郎などなど。


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アーケードの商店街、いい夫婦。


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文化横丁、いい親子といいふたりづれ。


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文化横丁のうしろ。

今年も、昼には去年の旨い寿司屋がちゃんと店を続けていた。
親方親子が看板のこの店、じいちゃん親方は震災以来店に出れていないそうで残念だったが、
そのかわり孫が修行に入っていてうれしかった。だからというわけじゃないが、昼から銚子を一本。
ちょうど蔵元が地酒を納めに来て、親方は客たちに宮城の美味い地酒を振舞ってくれた。
ごちそうさま。

     
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by noone-sei | 2011-06-30 00:33 | 書庫まつり(12)

65夜 うろんな書庫まつり 四 番外編

Book! Book! Sendai 2010レポート その4 おわり


一箱古本市を順調なすべりだしで迎えた昼どき。
王様から「どぉ?」と電話。
「お昼に行ってきまぁす、と行ったきり戻ってきません・・」と吉田屋遠古洞さん。
ふたりは兄と弟のように仲が良くて、たいへんよろこばしい。
留守の間も吉田屋さんとわたしの本は売れていたそうだし。
・・って、そういう話ではないのだったか。

実はそのころ、うろん書店店主のセイは、一人でうろんな行動をとっていた。
「うろん」とは胡乱と書く。簡単に言うとあやしいという意味。
路地裏というの?裏路地というの?
商店街の華やかさから横道に逸れると、わくわくするような細い路地がある。
その裏路地が気になってしかたなかったのである。
店番を吉田屋さんにお願いして、うろうろうろと横丁を徘徊、別世界に紛れ込んでいた。

商店街の横に数本ある横丁は戦後の名残り。
仙台は空襲を受けているので、戦後の焼け野原の露天から市場へ、
そして映画館ができて娯楽が生まれ、仙台で最初に復興したのがこの界隈。
街が整備されビルが建ち、華やかで整然とした街並みになったけれども、
この界隈には当時の匂いが残っている。

うろうろして入ったのは小さな寿司屋。
狭いその通りには寿司屋が何軒もあるので不思議だ。
「お昼、食べられますか?」
と、のれんをくぐったら、お客が一人いて、
そのおじさんはカウンターで冷酒を飲みながらお好みで寿司をつまんでいる。

寿司屋は親方というの?大将というの?
握るのは息子に任せた大将がテーブル席に居て、わたしにカウンターの奥を勧めてくれた。
昼は驚くほど安価で、敷き葉ランに一個付けで丁寧に握ってゆっくりと置いてくれる。
スズキの昆布締めが旨くて常温でお銚子を一本頼んだ。
鳳陽というその地酒も安価で、初夏に合うさらりとした美味さ。
カナガシラという魚を初めて知った。
さりげない会話もちょうど良く、最後は初物の枇杷(びわ)を出してくれた。

ひとり蕎麦屋とかひとり寿司屋とかが平気って、わたしはおじさんかもしれない。




□横丁のお写真
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壱弐参(いろは)横丁


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横に並べて二枚のお写真。
この横丁には「New Elegance(ニューエレガンス)」という素敵な喫茶店があって、
京都の「イノダコーヒ」が味わえるのだそう。礼儀正しい接客で、年配の客もくつろぎに来るとか。
喫茶店っていい感じ。こじゃれていたら緊張する。
普通のおじさんが静かにたばこを吸ったり新聞や本を読んだりする場所だと思う。
そしてそういう場所をカフェとは言わないんじゃないかな。




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文化横丁

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横丁の建物のひとつを裏から見た窓。


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横に並べて二枚のお写真。
活動写真館「文化キネマ」があったから「文化横丁」と呼ばれるのだとか。


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新富寿司。いい昼だったから写真はないが、こんなお店で、こんな店内



■おまけ

ハランとは
カナガシラとは  (生魚の写真なので、苦手な人は見ないほうがいい)
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by noone-sei | 2010-07-08 01:13 | 書庫まつり(12)

64夜 うろんな書庫まつり 参


Book! Book! Sendai 2010レポート その3


本を買おうというきっかけは、なに?
本屋で背表紙が光って呼ぶ、わたしの場合はまずそれが多いのだけれども、
よく考えてみると、なにも下地(したじ)がなくそんな現象が起こるとは考えにくい。
本が人を呼び寄せるのか自分が本を呼び込むのか、
背表紙が光るのは、つまりは本が人を呼び寄せるからだろう。
では本を呼び込む自分って、なに?
過去から現在に至るまで、嗅覚がなにに働いてきたかという、長い時間を経た下地なしに、
本と自分の関係ってあるんだろうか。

自分の嗅覚だけを頼りにしていると狭い所に入り込む。
かといって、新聞や雑誌で書評を読んだとか、帯の推薦文を読んだとか、
近頃よく読まれているらしいという評判を聞くだとか、
そういった、互いの趣味を知っている友人以外の者の紹介文には慎重になろうと心掛けているのに、
それでも気になってしまう本というものがある。

だいぶ前から気になってしかたがなかった本があって、
活字本はできるだけ避けて通ろう、漫画だけを十分に愉しもうと思っているのに、
それでもそれはどこかでひっかかっていた本だった。
「死」の匂いが鼻について離れなかった。

伊藤計劃(いとう けいかく)という作家が遺した
「虐殺器官」「ハーモニー」「伊藤計劃記録(遺稿集)」が手元にある。
まだ恐くて読めない。おそろしいのではない、彼の死の影がいたましいのだ。
この三冊は、本がわたしを呼び寄せたんだろうか、自分が本を呼び込んだんだろうか。
 ・・作家が本を使ってわたしを呼んだんじゃないだろうか。



□書店員POP大賞
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仙台にはそれぞれ特色のある書店がある。
期間を定めて書店員渾身の推薦文(POP)を集め、投票した書店員POP大賞


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「虐殺器官」が入賞でじつはびっくり。しかもこのPOPの主が男性と知って二度びっくり。



□通りの風景
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楽器店にて音楽を。

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 orahoさんと、たくさん話を聞かせてくれたヤンマさんのブース。
布製品は、会津木綿を一度洗ってから、デザイン通りにおばあちゃんたちが縫うのだそう。

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東京から参加の集団わめぞさん、後ろも本棚さすがの陳列。

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木箱を組んで。

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ここで五百部限定復刻版「鎌鼬(かまいたち)」(写真・細江英公 舞踏・土方巽)を見つけた。

このほか、同郷の、本の路地裏さんをみつけてあいさつ。
お客さんとして来てたくさんお喋りしてくれた駄々猫舎さん。
【風の時編集部公式ブログ】仙台の原風景を観る、知る。には「ブックマーケット その1」から「ブックマーケット その9 (ラスト)」までの記事に、ひとつひとつ参加店の写真レポートが載っている。


□店じまい
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□打ち上げ
仙台から戻って吉田屋遠古洞さんたちと。

つづき                                   
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by noone-sei | 2010-07-03 03:25 | 書庫まつり(12)

63夜 うろんな書庫まつり 弐

Book! Book! Sendai 2010レポート その2


 ・今夜のおはなしは長いから時間のあるときにどうぞ


・・つづきはまたあした、が、とうに明けてしまった今夜。

ラテン語で ex libris (エクス・リブリス)という言葉があって、書票という意味。
小さいとき、古い本の表紙の裏に小さな紙片が貼ってあるのを見て、
なんだか素敵、と、ときめいた記憶がある。
その小さいものの名が蔵書票とか書票とか、ましてエクス・リブリスなんていう言葉だったなんて
小さいときには知らなかったけれども、ずっと大きくなってから、
収集されていたりまとまった本になっていることを知ったときには、
あの小さいものがえらく気になったことに合点がいった。
意匠を凝らした図案だったもの。

古本屋の本には、裏見返しの上部に本屋の屋号や所番地が印刷された小さな紙片が貼られている。
なんてことない紙が、ちょこっと糊づけされているんだが、これも気になる。
印刷のインクが、たいてい落ちつきのある渋みがかった色だからだ。
大きな催し物会場などで手に入れた本のうしろに、
たとえば日本海に面した県の思いがけない所番地などを見つけると、
行ってもいないのに旅して本を手にしたような気分になる。
本で旅するなんてちょと不思議。

もうひとつ気になったものといえば、本屋で本を手に取ると挿(はさ)んであるスリップ。
買う前は付いているのに、買うとなくなってしまう不思議な栞(しおり)。
ちょこんと頭を出しているから栞だとばかり思っていたら、
書店が売り上げを把握するための短冊だった。
今では書店からでなくインターネットで本を取り寄せるとスリップが付いているから
めずらしい感じがしないかもしれないが、
たとえば古本屋で昔の書物で初版本でスリップが付いている本がもしあったら、
たいそうめずらしいのではないかしら。

値付けしたスリップは付箋で二枚貼った。
一枚はうろん書店用、もう一枚は一言書評(というかpop)と値段。
一枚は剥がして、もう一枚は本に貼ったまま持ち帰ってもらった。


□開店
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商店街の、駅に近いいちばん端っこが今回のわたしのブースなので、地味目。


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駅からいちばん遠い端っこが本部・物品・飲食・遠方から参加の古書店ブースなので、華やか。
縁日とか、ひしめき合う商店街の片隅で店を出すのとは少しちがっていて、
街そのものや人並みやプロジェクトの持つ鷹揚な雰囲気が感じられる。

・・ところで、なにかをやるときには、陰と陽というか、かすかなうしろめたさというか、
わずかな不健全さを内包していることを感じて気持ちが落ち着くことってないか?
商店街から入る、戦後の名残りの横丁が実はとても気になった。
それがなければ、メインストリートは明るくてお洒落ですこしくすぐったかったかもしれない。



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うろん書店
当初ブースの割り当ては縦一畳くらいの面積で、箱のまま置いて
覗き込んでもらうものとばかり思っていたら、悠々といただいたので、
ゴザの敷物を横に敷き、本をいくつか並べることができた。


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隣り合って仲良く吉田屋遠古洞さん
敷物は競馬新聞がたいへんよく似合った。でもビニールシートを買うより値が張るのだとか。


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立ち止まり本を手に取る様子



あえてひと箱という「一箱古本市」とはいい名だと思う。
運べる大きさだからとか、小さな区画で並べるからだとか、そういった理由からだけでなく、
出店者の意図を汲み取ったり本を選んだりするのに、
自分がお客の側になった時にひと目で見てとれる量とは、そう多くない。
「Sendai Book Market」会場のアーケードを自分もお客になって楽しく歩いてみて、
段ボール箱ひとつ分というのはちょうどいい本の量と密度だった。
ただひとつの本と出会うということはもとより稀有なことなんだが、
もし本のほうが贈り物のように飛び込んでくるなら、あんまり並んでいると拡散してしまう。
そうではなく、人のほうが本を選ぶ愉しみならば、たくさんあれば豊かな気持ちで選べるだろう。

出店する側としては、初めはお客にどう対応するかとてもむずかしかった。
初めて出会う人の懐に入ってしまうんじゃないかというような、戸惑いがあった。
結局それは杞憂で、本が呼び寄せその本に似合う人がそれを買い、
その本にまつわる話や今考えていることなどなどを語っていってくれた。
こんなに短い時間に相手のことを理解しようと懸命になる、
こんなに深く結びついていいのかしらと思うくらいに。

あの本を買った人はいまごろ読んでいるかしら、と思いがめぐる。
あるおじさんは、ポケットからあるだけの小銭を出し、この版画雑誌が欲しいと言ったっけ。
ある男性は、自分が仙台市内で通う絵画教室の楽しさを語っていったっけ。
きのこが好きな若いお母さんは、絵本の挿絵の特集をめくりながら、
赤ちゃんの名前が「きの」だと教えてくれたっけ。
ある女性は、お母上が英語教師だったからこの英語の絵本が懐かしいと言っていたっけ。
売値が法外になるので古本市には結局一冊しか出さなくて、なんだか申し訳なかった。
会津木綿のワンピースを着た人は、目立たぬよう隅に並べた「老人をかく」を手に取り、
自分の絵画教室の話をしてくれ、ほかにも目立たぬものを探して、
地味で飾り気のない技法書だからいいと言っていたっけ。
そしてスリップに書き込んだ小さなpopも探しては愉しんで読んでいたっけ。
ちょと照れくさかったけど、ちょとうれしかった。

準備したうち約半分の本が人の手に渡り、わたしは小一万の売り上げを得たわけだけれども、
自分の本が行った先を今も思うなんていうことがあるとは想像もつかなかった。


つづきはまたあした。
会場の様子はこちら 
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by noone-sei | 2010-06-26 15:58 | 書庫まつり(12)

62夜 うろんな書庫まつり 壱

Book! Book! Sendai 2010レポート その1


つづきはまたあした。
・・そう言ったのに数日が過ぎた。
ちかごろ雨つづきで畑の野菜には蝸牛がいる。
わたしの「あした」は時間がゆっくり過ぎなので、いっそ蝸牛と呼んでくれ。
蝸牛とは「かたつむり」なのだけれど、でも「かぎゅう」というとちょと格好いい。
いやそんな場合ではない。約束は守らなくちゃ。

六月の仙台は本の月。「杜の都を本の都にする会」が
Book! Book! Sendai 2010というプロジェクトを展開している。
そのなかの一日、本と人とが街で出会う「Sendai Book Market」に参加した。
さまざまなブースは、骨董・洋品・文房具・雑貨等の物販、カフェ飲食。
そしてわたしが参加したのは、不忍ブックストリートから発祥したという一箱古本市。

一般参加者約40箱の出店で、
「自分の蔵書の中から選んだ本を販売します。こだわりの一冊、昔読んだ懐かしい本、
店主との会話も楽しみながら素敵な本との出会いを!個性あふれる看板やディスプレイも必見です。」
というプロジェクトの惹き文句のとおりわたしは「店主」。つまり屋号を持つ古本屋さんごっこである。
古書「うろん書店」、本気で遊ぶから真剣に準備した。



□本の選定
右下の絵本「うろんな客」エドワード ゴーリー(著)  柴田 元幸(訳)  は非売本。
なぜって、「うろん書店」の看板本だから。 
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今は描かなくなったけれど、絵に連なるものを選定。
専門の古書店の参加とは準備する量がちがうので、みかん箱に充実の約四十冊。
漫画については脱力のお遊び漫画と本気の本気を取り混ぜて。
売りたくない本、隅っこに隠しておこうと密かに思う渋い本、黒くて暗い本、
これは地味にもほどがあるだろうという本、わたしのところ以外で今はもう手に入らない本、
読んだら特定の誰かと夜中に話したくなるだろうという漫画、
そういうひそやかな企みに気づく人だけが手に取ればいいと思う本の数々。
準備には、不忍ブックストリートの店主マニュアルを参考にした。



□ご挨拶
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はじめて出会う人へのメッセージも作ってみた。



□選定本の一部
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版画雑誌の特集は木口版画による詩画集。



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ブルトンとかバタイユとかの美術雑誌。



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ルドンのカラー図録のなかでも、わたしの好きな「笑うクモ」と「オタマジャクシ」。
どちらもへんな顔の生き物。



値付けの参考にしたのは全国古書籍商組合連合会「日本の古本屋」データベース検索なんだが、
美術関連の書物は思いのほか値が下がっていない。
逆に稀少本として値が上がっていたりしたのでたいへんに困った。
海外の絵本については、インターネット上で法外な売値になっていて、
準備はしたものの、一冊を除いて最終的に箱からはずしてしまったものもあった。
(実際にはその一冊に目を留め思い出を語ってくれたお客がいて驚いた)


このつづき、お店の開店はまたあした。


なお出店にあたっては吉田屋遠古洞主人坊さん、名付け親になってくれた連れ合いさん、そしてBook! Book! Sendai のオールスタッフ、Sendai Book Marketを訪れてくれたたくさんのお客さんに、この場を借りて深く感謝したい。
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by noone-sei | 2010-06-24 00:50 | 書庫まつり(12)

61夜 日曜日の書庫まつり


このあいだの日曜日は、わたしが思い描くとても日曜日らしい日曜日だった。
本の整理をして本まみれになるとか、書棚を作るとか、
そんなふうにして一日を過ごすことができる、
そういうことって今までにないことで、わたしにはあこがれの日曜日なんだが、
ふつうはあこがれるほどのことではないんだろうか?

ストーヴをしまったり扇風機を出したり、
座布団カバーを明るいものに替えたり模様替えをしたり、
梅雨の前にやっておくことがたくさんあって、
なんだか「居住まい」だとか「暮らし」だとかいうものを
心地よく感じるのがとても久しぶりのような気がする。

ここ最近のわたしの愉しみは縫い物。
夜には映画よりも気楽に観られる米英海外ドラマを流して、
ちくちくとお裁縫をするような日々、こんな過ごし方って初めてだ。
ネットから浦島亀子になって遠ざかり、ウェブログもご無沙汰、
でもいい感じ。

と書くと充実しているようだろう?
いや充実してはいるんだが、いちばんやらなきゃいけないことがあるんだ。・・本の選定。
一箱古本市に参加することにした。
仙台の六月は本の月、街のあちこちで本に関する催しがあって、そのひとつが一箱古本市。
その準備が佳境に入っていて、今も本の値付けの真っ最中、
ちょっと逃げるようにしてこうして今夜のおはなしを書いているというわけ。
また準備に戻るから、つづきはまたあした。



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新しい書棚は漫画専用。屋外の書庫から屋内に移す本の発掘をしたところ。



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合間にパン焼き器に入れておいた生地が膨らんで、初めてこんなパンが焼けたよ。
気温が高くなったからだね。不器量なパンだけれども、なんだかうれしい。
アーモンドとドライフルーツとキャラウェイのパン。



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階段を利用して組んだ書棚。
子どもが隠れ場所にするみたいに、階段に腰を下ろして読みふけってしまいそう。


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一箱古本市に出す本の選定中。テーマは「絵のような文のような」。

そのころ犬たちは
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by noone-sei | 2010-06-18 02:41 | 書庫まつり(12)

60夜 くちづたえの書庫まつり


 ・今夜のおはなしは長いから時間のあるときにどうぞ


くちづたえ ・・って言ってみてくれ。
「づ」って、む「づ」かしい。いやまちがい、むずかしい発音だと思わないか?

前歯が一本、無くなったんだ。
根元で折れてやむなく抜いてしまったので、わたしは今、歯抜け。
子どもの歯抜けは大好きで、うっとりするくらいに好きなんだが、
自分のこととなると、歯抜けは間抜けだ。上あごの骨が固まるまでは義歯となる。
歯医者は、舌の学習力と記憶力はめざましいから、意識して発音すれば大丈夫と言う。
時期が来なければ矯正もできないので待つしかない。

わたしはがちゃ歯なので、しょっちゅう歯医者に行くんだが、面白い話が聞ける。
たいへん大きな前歯なので、抜くのはさぞ後で痛むだろうと思ったらそうでもなかった。
下の親知らずを大学病院に紹介されて手術したときには、それはひどい目にあった。
麻酔を足してくれと、術中に数回言うほど長丁場だった。
ところが、下あごの骨より上あごの骨は薄く血管が密集していないので、痛みも軽く、
上の歯を抜くのは造作もないんだという。ほんとにそのとおりだった。

さて今夜のお話はくちづたえにまつわること。
先日、大学で講義を聴いた。
「キリスト教文化との出会い」と題して、西洋と古代日本の神を比較するというもの。
同席者に「セイさん、古事記って誰が作ったの?」と聞かれた。
古事記についてほとんど知らないので「くちづたえ、いつのまにかのお話だよ。」と答えた。
実際にはくちづたえから文字にする段になって、天皇家の出自に都合のいいように
物語のおしまいは歪められたようなのだけれど。

『聖なるもの』という本(オットー著 岩波文庫)が紹介された。著者は神学者。
西洋の神の存在を証明する試みは過去からなされていて、合理的に言葉で論証したり、
カントのように、人が道徳的に生きるために神は必要、故に存在すると論じたりさまざま。
オットーは神に、神霊的なイメージを持って論じた。
畏(おそ)れるという感情は、原始的な神秘の戦慄だと。
聖なるものとはなんだろう。清く正しく輝く善というイメージだけでは弱い。
その奥底には戦慄を伴なった神秘がある。それをデモーニッシュ(魔的)と表現した。

キリスト教にみる神の聖性は、原始は抑えられやがて光明なるものとして洗練されてゆくんだが、
では古代日本の神もそうだったのかというのが講義の本題。
この世とあの世。この世が天と地に分かれたとき、天には名があり地はただ混沌として名もなかった。
天は高天原(たかまがはら)という名を持ち、そこにイザナギ(男)とイザナミ(女)が降り立ち、
結婚してイザナミは島を産んだ。
国土を造って火の神を産んだらイザナミは燃えてしまって黄泉の国に行った。
イザナギが黄泉の国で覗き見たイザナミはウジが涌き周囲では雷が鳴りすっかり死者だったので、
恐ろしくなり諦めて帰ってきた。
死んだ妻を取り戻しに冥界へ行ったが、振り返ったため叶わなかったオルフェウスの話は
ギリシア神話にもあり、こうした死者との別れの挿話は万国共通なんだろうか。

黄泉の国で穢れたイザナギは川で禊(みそ)ぎをした。
そのときたくさんの神が産まれ、最後に産まれたのがアマテラス(女)とスサノオ(男)だった。
スサノオの乱暴振りでアマテラスが天岩戸(あまのいわと)に隠れたのはわたしも知っている。
けれどもそれは怒りによってではなく恐れによってであり、岩戸から出るよう計らった神々も、
岩戸の前で神祭りをし賑やかに皆が笑う。なんだかのんびりした感じがしないか?
古代日本の神は荒ぶるものに寛容で、戦わずにデモーニッシュは鎮められる。

スサノオは天の国を追われたので根の国に行きたいと言った。
根の国は堅い島で、この世以外にあるあの世のひとつ。
スサノオは地の国を経由して根の国までの旅路、オオケツヒメ(女)に食べ物を貰うんだが、
覗き見たら鼻やら口やら尻から馳走が出る。
穢(きたな)くして食わせたな、と切り殺してしまったら、その遺骸からさまざまな種ができた。
農耕のきっかけを天を追われた荒ぶるものスサノオが作る。
光明なるものではなく、荒ぶるものが人間に恩恵をもたらした不思議。

こんなふうに、古事記にみる古代の日本は、荒ぶるものだけに悪を負わせることをしない。
最終的に神のデモーニッシュは光明なるものとしてひとつになるにせよ、
そのプロセスは抑えるための戦いではなく、鎮めるための葛藤だ。
原始は光明へと洗練され変化するのではなく、古代の日本は原始を取り込んでゆく。

講義を受け終えてみたら、くちづたえの物語「古事記」は、
原因や結果を突き詰めるということのない鷹揚な物語だった。
自然界にたゆたい、受け入れるのではなく受け入れられよ、の物語だったのかもしれない。


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右の妖怪の絵本はおまけ。


□おまけ
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58夜で書いた本はこれのこと



□もひとつおまけ
パタリロで撮っておいた野菜のお写真を載せなくちゃ。もう六月だ。
畑では玉ねぎがしっかりとしてきた。今は立っている茎が倒れたら収穫できる。
キャベツも小さいながら玉を結んできた。
それらはまた次の夜に。
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地元農協の料理教室にて。講師は和食料理屋の親方たち。


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たらの芽、丸ナスの揚げたて。


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揚げた野菜と身欠きニシンを だしと醤油と干しえびの煮汁で煮る。



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アスパラ、うど、きゅうりはサラダの材料。
野菜は皆水に放し下ごしらえ。きゅうりの端が見える?



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油揚げと炊きたてセリご飯。



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汁物はくきたち菜と凍み豆腐。山盛りの野菜サラダ、野菜づくしの食事の完成、いただきます。

春のころの犬たち
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by NOONE-sei | 2010-06-02 17:38 | 書庫まつり(12)

59夜 綺麗な絵本の書庫まつり 

 ・あらすじが最後まで書いてあるので、購入予定の人は読まないほうがいい


「鼻のこびと」

むかしむかし、ドイツのちいさな町に靴屋の夫婦がいて、
可愛い子どものヤーコブは母が野菜を売る手伝いをしていた。
いじわるなばあさんの客がやってきて、野菜をさわり文句を言うので口答えをしてしまう。
その家までヤーコブはいやいやながらも野菜を運び、スープをごちそうになった。
すると眠ってしまい、薬草の香りで目覚めたら鼻の長いこびとの姿に変わっており、
驚いたことに月日は七年も過ぎていた。
わかってもらいたくて両親に会いに行ったけれど、
むかし子どもがさらわれた不幸を逆なでするとはと、
革の束で叩かれ、不条理なことに、ぼろ犬のように追い払われてしまう。
それでも自分の力で生きていかなくちゃならない。
夢の中で七年間、ヤーコブはばあさんの元でリスになって料理の修業をしていたので、
お城の料理人に志願し、ついに国中でいちばんの料理長になった。
ある日、市場でガチョウを仕入れたら、なんとヤーコブのように魔法をかけられた娘だった。
そのころお城に大切な客人があり、毎日ちがう献立でたいそう喜ばれたのだが、
これほどの料理人がなぜ「パイの女王」を出さないかと問われる。
ヤーコブはそれを知らなかったので娘が味の秘訣を教えてくれ窮地を逃れた。
秘訣は薬草であり、ヤーコブはやがて、元に戻れる薬草も探し出す。
元どおりの体になって、両親に会いに行ったら喜んで迎えられましたとさ。

・・清楚な絵でありながら、やりきれなさの残るこわいこわいお話。
でも、料理の場面には躍動感があり、お話にでてくる味見の金のスプーンで、
わたしもひとくち喉に入れて目を閉じてみたいと思う。


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リスベート・ツヴェルガー絵
ヴィルヘルム・ハウフ作/池内 紀訳
太平社 刊



今夜のお写真は、ちょと時季はずれになってしまったのだけれど、春の野菜を。
もっと、撮っておいた美味しい野菜のお写真が待っている。
次の夜にも、おっかけおっかけ載せていかなくては。

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行者にんにくとくきたち菜。


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庭にこんなふうに生えている。


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三つ葉とルッコラはサラダにして生で。


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大きなザルに入れた野カンゾウは茹でて酢味噌で。クレソンは生で。
名がわからない菜はオリーブオイルとにんにくと鷹の爪でさっと炒め、岩塩で。
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by NOONE-sei | 2010-05-26 03:14 | 書庫まつり(12)

57夜 百花の書庫まつり


遠くに見える吾妻山の雪がずいぶんと融け、
白くくっきりと跳ねていた種蒔きうさぎの、耳が短くなってきた。
安達太良はあと数日で山開き、
山に雪はあるけれど、装備がしっかりしていれば登れるくらいには融けた。

この地の桜はおしまい、山桜が薄い桜色でぽつぽつと山に見える。
とうに花桃はおしまい、実のなる桃の花選りも終えた。
綿羊ロードの果樹畑には林檎の花が咲いている。

先日入った川沿いの露天風呂には冬眠から覚めた「『長いもの』が寝そべっており、
山もすでに春になった。
川べりに『長すぎるもの』がいるのは、考えてみれば当たり前で、
よく岩の上で寝そべっているのだから考えなくてもわかるはずのことだった。
風呂そうじのおばさんが棒を持って退治にきてくれて、
「風呂に入ってたべか?」
「いやいや、風呂のぐるりの木の廊下に。」
「何色してたべナイ?」
「いやいや、これこれこんな形状で(ほんとは言いたくない)」
「んじゃ、かかってこね(こない)。マムシでねぇから。
 ひなたぼっこしてたんだべー。」
「昼寝?」
「いや、ひなたぼっこだぁ。もういねぐなったから、もういっぺん風呂入んなさい。」
「いや、その・・(ぜったいに露天はもういやだ)
 内風呂に入りますから、はは。」
『あれ』も目覚める頃。寒いからとたかをくくっていたわたしが大馬鹿。

山は根雪が残っていてこれからが春。
ひと山越えれば猪苗代、まだこれから桜が見られる。
日曜日に、桜好きの母を連れて行ったが今年の冬は長くて明けていなかった。
この地はすでにハナミズキ、かの地は桜がまだつぼみ。



今夜のお写真は、かの地の雪と、この地が百花繚乱だったとき。



■雪
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猪苗代付近から見る磐梯山。
手前に写るのがまだつぼみの桜。


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山越え途中の鬼面山。


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鬼面山と白樺。


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ブナと白樺。風雪で曲がっている。
樹木はとても人体に似ていると、山に行くといつも思う。ダンスをしているようだ。





■花
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桜と菜の花。


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花桃と菜の花。


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花桃とコブシ。それともモクレン?


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花桃と連翹。


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花桃の山。






□おまけ
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一輪草だろうか?





□おまけのおまけ
冬から春の初めに読んだ漫画群。
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「ワンピース」は映画を観たので非売品の「ワンピース零(ゼロ巻)」をもらった。

一條裕子とよしながふみはなんだか読後感が似ている。
切なさをざっくりと腑分けして、感傷をソテーしてしまって、魔法のような旨い料理に変えて
ぱくりと食べてしまうようなおそろしさ。

鶴田謙二は面白いと思うし絵も上手いんだが、星野之宣と共通していて女性像が画一的な気がする。
彼らの妄想の中の、この世にはもういない女性像だと思うしかない。

ガンガンは「鋼の錬金術師」の読者プレゼントが欲しかったから。

「present of me」は表題作がいちばんよかった。

吉田秋生は、読み手が言葉にできないで抱えているものをざっくりと切って言葉に置きなおしてくれる。

小田ひで次は面白いところもあるんだが、もっと作家の自我や情緒を抑えて欲しい。

「くらしのいずみ」、こんな漫画を淡々と描いていってもらいたいと思う。

いわずもがな「獣の奏者」、漫画が完結したら小説も読んでみよう。

「観用少女」、こういう作品をわたしは少女漫画と呼びたい。
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by NOONE-sei | 2010-05-05 03:03 | 書庫まつり(12)

56夜 菜の花の書庫まつり


もう何年前になるだろう。
桜が満開なのに上野不忍池は雪だった。
あんなことはもうないだろうと思っていたら、
今日、桜が満開のこの地で雪が降った。
東京ではとっくに桜は散り、やっと東北で桜が咲く、もう四月も下旬。

上野や根津近辺に行くとどきどきする。いや、わくわくする。
わたしの好きな『機動警察パトレイバー』で、
暴走レイバーを警察のパトレイバーが取り押さえる桜の中の大捕り物の場面があったからだ。
架空なのに「言問い通りを・・・」などと現実の場所名の実況も入る。
地名や通りの名に詳しければ、もっと物語の中に入ってゆけるんだが。

隊長のぬらりひょんぶりも、メカ技術一筋のおやっさんも、一本抜けている隊員たちも
みんな大好きだった。
大好きだったからテレビ局に手紙を書いたら、関係者に配ったという二百枚のうちの一枚、
テレフォンカードを送ってきてくれた。
あとにもさきにも、テレビ局に手紙なぞ、このときっきりだ。
先日、引き出しを整理していたら出てきて、小躍りして喜んだ。
これはわたしの宝物である。


機動警察パトレイバー
大好きだった隊員たちは、劇中で自給自足もどきをしているんだが、
トマト畑を作ってくれた隊員、ひろみちゃん役の声優が亡くなったことが大変残念だ。



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切手シートはずいぶん後になってからのもの。

宝物といえば、主人公のひとり、女子隊員が警察レイバーの乗り手で、
そのパトレイバーを慈しむあまり、飼っていた犬の名をつけていた。

わたしの宝犬
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by NOONE-sei | 2010-04-18 03:41 | 書庫まつり(12)