カテゴリ:その五の百夜話 父のお話(1)( 1 )

44夜 花も嵐も

 
先週末は大雪、吾妻おろしの地吹雪。
門までの道を作ろうにも、かいてもかいても雪が降る。
地吹雪が来ると息もできず、一寸先(いっすんさき)も見えない。
雪は、しんしんと降ってしまえば心なしか温かみがあるものなのだが、
山から風が吹き降りると底冷えがする。
夏の風は太いが、冬の風は細くて鋭いから隙間に吹き込む。

父が亡くなって丸二年が経ち、日曜は三回忌だった。
この二年、この地は雪が少なくてさほどの雪かきもせずに済んだが、
そろそろ平常運転しろよとでも言うように、三回忌の前日に、
父はせっかちにどっさり雪を降らせてくれた。
まだ二年なのに三回と数えるくらいだから、仏事は万事、気が短い。

前日の大雪はとーちゃんが雨男だからかじいじが仕組んだかと鰐号は笑うし、
犬たちは久々の雪の小山に登ってはしゃぐし、三回忌はしめやかじゃない。
王様と鰐号でスコップを手に身支度は完全防備、
雪用の長靴を履いて、法会(ほうえ)の前に墓を掘り出しに行ったら雪めんぼ。
雪めんぼとは、雪にまみれること。この場合は白いだるまのようになってしまうこと。
墓堀りのだるまたちは墓石を掘り出すのが精一杯だった。
だるまはうずくまらない。地吹雪で転ぶんだ。
黒い喪服に、皆が黄色や青の長靴やら黒のゴム長って笑えるだろう?
つまり上はちゃんとしたしめやかさ、下はなんだもない格好。
なんだもないとは、この場合ふさわしさに構っていられない身なりのこと。

さてその法会、外は地吹雪、中は隙間風。
菩提寺(ぼだいじ)は古い造作(ぞうさく)なので隙間風が入る。
和尚(おしょう)も、ストーブのそばに固まって座してくれればいいからといった具合。
和尚の、組み結んだり鳴らしたりする指の所作は興味深く、
読経の前に唱えてくれる御詠歌は訛(なま)っていて微笑ましい。
経文は、唱えられても漢字音読みの羅列でさっぱり意味がわからず、
ありがたい内容なのだろうにいまひとつありがたみが薄い。
一方、和歌を詠み歌う御詠歌はたいそう美しい。

「詠歌」とは五・七・五・七・七の短歌、「和讃」は七・五調の長歌、
現在ではどちらも合わせて御詠歌と呼ばれるのが一般的になってきた。
どちらも共に節をつけて唱え上げる。
本家の伯父の葬儀では、妻である伯母が近隣の女の人たちと御詠歌を歌った。
この世は常ならむものであることや、朝に夕に想っていることなど、
御詠歌はしっとりと穏やかな心もちにさせるような内容で、
まるで、自然界にたゆたい、あるがままに受け入れられよ、と沁みこんでくるような。
受け入れよ、ではなく、受け入れられよ、という捉え方が素敵だと思わないか?

曼荼羅の数やその意味や仏のいろいろ、父の浄土への旅のあれこれを教わり、
法会を終えると地吹雪の墓地へ。
用意した花は風に飛ぶし、線香も点けられないし、
五輪塔に模した細長い板の卒塔婆を和尚は持って来るのを忘れるし、
風の中、大笑いなのだが笑うと口が雪めんぼになる。この場合は白髭じいさん。
墓地を後にしたら地吹雪がぴったり止み青空まで出て、
やっぱりきっと、じいじがあの世からなにかしてたにちがいない。

昨年の一周忌は人寄せをし、父と深い関わりのあったかたがたと会食をした。
この会食は神社の宮司が参席したので神式で『直会(なおらい)』。
今年の三回忌は家族だけで、和やかに総本家の旅館でのんびり、
会席膳と、父が手がけた露天風呂と昼寝、一体誰のための日だったんだか。
こちらは仏式で『斎(とき)』。

うちの前日が旅館のおかみさんの二七日(ふたなのか)だったので、
仏壇に手を合わせたら、満面の笑みの遺影が飾ってあった。
位牌の戒名には、俗世での象徴的な文字を選んで入れるものだろう?
父は大工だから匠の文字がある。
おかみさんは顔と歌と笑の文字があり、こんな戒名は初めて見た。
温泉町を一望する墓は雪の山になっており大雪と大風、
前日の墓参は嵐の最中(さなか)だったという。
うちはさっきやっとこさ墓石を掘り出して花入れに花を挿すんじゃなく刺したと笑ったら、
総本家では雪がどっさり降るなか雪の墓山に抱えきれぬ程の花をずぼっと刺して、
おかみさんを花の雪だるまにしてきたんだと聞いてなお笑った。

笑いで供養したふたつの仏事。
一寸先は闇というけれど、ふたりはおそらく閻魔様には拝謁していないだろうから、
一寸先の浄土は笑いのパラダイス、ほんとの極楽なのではないかな。




 先日の仏事 42夜 化粧直し

    

『斎(とき)』をパタリロで
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by noone-sei | 2010-02-14 00:53 | その五の百夜話 父のお話(1)