カテゴリ:新々々百夜話 本日の塾(4)( 4 )

ときおりの休息  八  食の幸ふたたび 


コンビニエンスストアの食料品を食する人に、
コンビニママのごはん、などと揶揄する。
けれどそれは、家庭の味もいいけれど、時にはジャンクな味に惹かれるのでしょ、という
暗黙の了解つきの揶揄で、ほんとうにそればかりの人に言える言葉は、ない。
その一方で、家庭の味、お母さんの味、おばあちゃんの味。 
魔力があるような風化したかのような、そして ・・こわい言葉。

女子組の保護者達が塾に弁当を届けている。
子ども達は部活があり、学校からまっすぐ塾に寄るので食事を摂れないと案じ、
一軒が届け始めたら競い合うように温かい弁当が続々と届き始め、内容も豪華になっていった。
ところが子ども達はあまり喜ばない。そしてコンビニエンスストアに好きな物をぞろぞろと買いに行く。
困ったのは王様だ。
どこで食べさせよう、何時まで食べさせよう。
保護者が子どもの食を案じる背景に、一心でない心理が働いていることもわかっている。

夏の女子は目の周りを黒く化粧して塾に来た。
部活をサボタージュし、仲いいわけでもないのに、そんなときにはかばい合う。
突出した問題を起こすわけでもなく成績は悪くない、が、相手の目を見ない。
常に授業はあっという間に崩れるが、建て直しが利きにくい。
群れが群れの退廃を呼び、自浄作用が働かない。
これまで、素行が悪いとか家庭に問題を抱えているとか、さまざまな塾生を受け入れてきたけれど、
王様がこうまで女子に手を焼くのを初めて見た。

群れが閉じている。けれど一枚岩でもない。しかし、かといって切り崩せる割れ目がない。
石の感触はひんやりとしていて、堕ちてゆく速度が速まっている。
このままでいいわけがない。
女子組を受け持つ講師も受け持たない講師も、揃って授業を停め、全員と向き合った。

王様は、この塾がどんな目的を持っているかを話し、最後に、
「君達に食事を許してきたのは、君達に便宜を図ったのではない。
ご家族のお弁当に敬意を払ってきたのだ。」と言った。



                       * * *

気分を替えて、食の店のお写真を。


賑わって活気のある大阪の商店街にも定休日があって、
そんなときはひっそりしているのかと思うとそうではない。
シャッターの下りた休日の店の前には露天の店が並ぶ。
洋服や生鮮食料品や菓子や、さまざまな商品はどこから運ばれて来るのだろう。

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朝の喫茶店でモーニングサービスって、ちょとあこがれ。
昔はよくあったように思うのだけれど。お写真を見ると、六時半からにびっくり。


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カフェでケーキとお茶もいいけれど、コーヒーでないお茶、緑茶で甘味を食べるお店も素敵。


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やっこという食堂の外観と店内。
昔、大雨の被害に遭ってもすぐに清潔な店内にできるよう、タイルの内装にしたのだとか。


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素朴なお味のたこ焼き、百円。
粉ものって、おなかがいっぱいになってはいけないのじゃないかと思う。
卵がたっぷりとか、肉がぎっしりとか、もっちりとした食感だとか、大きいとか。
肉まんしかり、たこ焼きしかり。さして凝る必要を感じない。
おやつはおやつらしく、ちょっとの量だから邪魔にならないんだ。


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寄席「繁盛亭」の近くのたこ焼き屋。


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串かつ「ぜにや」の店内。
休みでなければ「てんぐ」に入るのだったけれど、それはまたいつかの次回のお楽しみ。


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へべへべまで酔わないいい気分で歩いていて見つけた純喫茶。
純喫茶、いい呼び名。こういうサンプルって、夜は怪しげで素敵。


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集ってくれたなかのひとりが、わたしに撮らせるために注文してくれたプリン・ア・ラ・モード。
ちいさなころのあこがれ。
それにしてもサンプルと違わぬデコレーションで供されるものなのだな。



※カテゴリについて
この「ときおりの休息 八」は、「新々々百夜話 本日の塾」に入っていますが、「ときおりの休息」とカテゴリが重複しています

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by NOONE-sei | 2008-09-06 02:47 | 新々々百夜話 本日の塾(6)

80夜 三世代三様 


王様とわたしはじじとばばになった。
卒塾生が赤ん坊を見せに来てくれた。
まるまるとして、まるで昔ながらの餅のような赤ん坊だった。
「塾の孫だー。」
かわりばんこに抱く王様とわたしは、
あきれた、ただの、目のくらんだ、、、、冠(かんむり)の詞をたっぷり載せたじじとばば。

その子には、ちいさいさんのときから母性ともとれるようなものが備わっていたので、
早く母になるかもしれないという予感があった。
けれども、若すぎるし、なにより夫もまだ若いので、じつは案じてもいた。
「職はどうした?籍は入った?」

短いスカートに細い細い眉の、いまどきのその新米ママは、
まだ首の据わらない赤ん坊をこともなげに抱き上げる。
まるで『生かしてゆくんだ』という根源が備わっているかのように。

ところで、塾にはさまざまな少女たちが通(かよ)ってくる。
全員が長女だけ、というクラスがあって、これがちょっと怖い。
子が母を 母が子を 近親憎悪する日常が、ときにひょいと顔を出す。
「生かす」ことに急(せ)かされ、ときに几帳面さにつぶされそうな母が、
子を自分の子としてでなく、天からの預かり物として扱う困惑を見る。
子は天からの授かり物ではあろうが、いつから預かり物になっただろうか。

絵を描いていた頃、好んでつけた題が、『Keep In Touch』 だった。
本来の訳は知らないが、「ほどのいいつきあいかた」というのがわたしの解釈だった。
ほどのよさとはむずかしい。
現実の世界でそれを実現するには、よほどのパワーが要る。

少女というものに限ったことではないが、
自分を好きでない者は、人を好きになりにくかったりする。
前述の長女の少女たちは、自分だけが好きで、まだ人を好きでない。
「人」を好きになっていない者は、「ひと」を好きになる手前に居る。
人間未満の者たちを生かしてゆくには、ほどのいい揺さぶりも要る。

少女たちと、これから数年間のおつきあいをする。
彼らはその間、幾度人間への脱皮をするだろう。
ときに醜く、ときに苦しく、ときに切なく。
それを見つめるわたしたちは、「生かす」ことに手を貸してゆくんだ。
赤ん坊ではない彼らには、まだ冠をつけたじじばばではいられない。



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餅のような赤ん坊。それにしても頭の大きいこと。





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ポットに入った花の苗を地面に移すときにはね、
土を掘るでしょ、そこにじょうろでたっぷり水を注いでね、それから植えると
根っこがよく水を吸い上げて土と馴染むんだよ。
・・なんて、今では知ったかぶりをするわたしも、庭仕事の上手な人にこれを教わったときには
この子みたいな目をしていたんだろうな。
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by NOONE-sei | 2008-05-12 01:45 | 新々々百夜話 本日の塾(4)

23夜 シロツメクサの不思議


いつもゆく山のふもとの公園には、林ばかりではなく野原もある。
一面のシロツメクサがまぶしい。

ちいさな頃にはシロツメクサで花かんむりを編んだ。
編むのが楽しくてずっとずっと編みつづけ、しまいに花のなわとびにして跳んだ。
ふたりで両端を持って、ひ~とりふ~たりさんにんよにん、、、、
・・・なにか歌があったような気がするのだが、思い出せない。

塾の前庭に、雨水が貯まらぬようシロツメクサを植えて数年が経つ。
根が水を吸ってくれるし、いつも緑で美しい。
白い花が咲くと、子どもたちが摘んでは遊ぶ。
花なのだろう?白いものは。
緑の三つ葉はクローバーというのか?
それなら、白い花が付くこの時季だけ、クローバーはシロツメクサになるんだろうか?

子どもにはシロツメクサがよく似合う。
四つ葉のクローバーを懸命に探す姿も可愛らしい。
なにも得意なもののないわたしでも、四つ葉探しにはちょと自信がある。ちょとだけ。
塾のクローバーはたくさん増えたのに、四つ葉がほとんどない。
いちどだけわたしが見つけたけれど、塾の子どもたちはまだ見つけた子がいない。
ひとつ見つければ、その周りには必ずあるものなのに、塾では探せないのが不思議。
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by NOONE-sei | 2007-06-02 22:45 | 新々々百夜話 本日の塾(4)

14夜 箱根はケチの半次郎


小粒が十四歳になった。いや、この秋には十五だ。
小学生のちいさいさんだった頃、塾でわたしが何を言おうとどうおだてようと、
「やだねったら、やだね~~ やだねったら、やだねぇ~~」と、
『箱根八里の半次郎』を歌っていたのに。
それでも作文を書かせようとあの手この手の変化球を繰り出すと、
わたしがセロハンテープで開かなくした百科事典の蛇のページを持って来て、
「見せるぞ見せるぞ」と反撃していたものだったのに。

山椒は小粒でぴりりと辛い、小粒はあっという間に中学三年生。
先日、修学旅行に行ってきた。行き先はディズニーランド。歌っていた箱根までは、行かない。
塾ではいつのころからか、中三になると修学旅行のお土産の菓子を買ってきて見せ合い、
分け合って食べ、下級生にもお裾分けをするようになった。
自分が上の子からしてもらったことを 今度は下の子にして返すというような、
代々のならわしのようになっている。

今年の中三男子は皆ケチんぼだから、お土産はないかもしれないな、と思っていたら、
買ってきたのだ、皆が。しかも、あの小粒もだ。
鞄から菓子の包みを出した小粒が言った。
 「ほい、土産。・・あれ?小学生って、何人だべ?・・足りるかなぁ、、、、。
  足りなかったら、あっからな。もひとつ。」
ちらっと鞄の中のもうひとつの包みを王様に見せた。

楽しい旅の話をしながら皆で菓子をほおばる。
小粒はちいさいさんだった頃から、たとえば何か決めるような話がばらけると、
ばしっと正論を言って、はっとさせる子だった。
不思議なことに、誰よりも自分中心で、いつも自分が一番なのに、そういう時の
当たり前なことを当たり前だと言う小粒には、皆を納得させる力がある。
ケチんぼなどと言っちゃわるかったかな。

さて残りの菓子を下の子たちの分としてひとまとめにして、茶話会の時間はおしまい。
いつもどおりに円卓でお座りして、頭を寄せ合いながら口喧嘩もしながら勉強。
まだ受験生と呼ぶには、この地で言う赤ん坊の意「ややこ(嬰児)」の中三男組。
おしまいは「さぁなら~」と口々に言いながら自転車に乗って帰る。

ややこの塾生が帰った後は、静かな塾。王様がひとり残って仕事をするのだが、、、、
王様は、はっと思い出した。小粒は、もうひとつの包みを鞄から出さずに持ち帰った。
・・あったな、前にもこんなこと。


前にもあった小粒のあんなこと


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ちょっと伸びたつくしは、小粒に似ている。
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by NOONE-sei | 2007-04-29 02:36 | 新々々百夜話 本日の塾(4)