88夜 女たちの白頭巾


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器量の悪いアク コ からもみなさまへ。

「王様の千と線」、平常運転し始めたかと思ったら、ふたたび歩いたり停まったり。
嬉し楽しのコメントを頂きながら、ありがたいのにお返事もせぬままにごめんなさい。どうぞどうぞ、懲りずにおつきあいくださいませ。




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88夜。
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小ぶりなこの花の名を初めて知った。姫しゃが。おしゃかさまを連想してなにやら抹香くさい。


                      
八八とはなにやら目出度い数。けれども仏事で七七は四十九日のこと。
本家のざらんぽんから、初七日(ひとなのか)、三日七日(みっかなのか)、
五日七日(いつかなのか)、そうしてもうじき四十九日。
わが家と本家の仏事に追われていたら、加えて本家の婿様の実家までざらんぽん。
仏事というものは、三たび続くと誰かが言ったけれどそのとおりになった。
信じているわけではないけれども、今年はこうした年回りなのだろう。

お題に掲げた白頭巾。言葉がふいっと浮かんだのだけれど、ちゃんばらじゃない。
・・本当は白い手ぬぐいにまつわるおはなし。

本家の婿様の実家の葬儀は、昔のならわしがあちこちに垣間見える不思議なものだった。
本家の葬儀も、妻が夫の葬儀で御詠歌をうたうという、たいそう不思議なものだったけれども。
初めて聴いた女たちの御詠歌は、しみじみと哀しかった。
仏への長い道のりをゆこうとする死者とそれを見送る生者に、世は常ならずとうたう。
御詠歌というのだから、節があって「うたう」のだけれども、それが「歌う」なのか「詠う」なのか、
わたしにはよくわからない。
僧侶は仏に仕え、その妻が檀家の女たちに御詠歌を教えているということは、初めて知った。
先祖を祀る家の嫁たちが、各家々の葬儀に備えて稽古していることも不思議な気がする。

さて、婿様の母御の葬儀告別式は、生仏(なまぼとけ)様だった。
関東では当たり前のことでも、この地ではめずらしい。
朝のうちに焼き場で骨にしてもらってから告別式が執(と)り行われるのがこちらでは一般的だ。
その地その地で風習はちがい、おそらく因習にもちがいがあるんだろう。
焼き場に向かう人々が、皆白い布を持っている。
女はそれを頭にぱさりと掛け、男はよだれかけのように後ろで結び、襟元に垂らす。
これに驚いたら、本家のばっぱちゃんも墓に行くときにはそうしたと聞いた。
わたしが育った山あいでも、女たちは白頭巾だったのか。

この地から遠い北の葬儀でも白い布を使うという。
その北の地では、女は頭に白布を掛け、男は額に三角の白い布をつけ、
棺(ひつぎ)を住まいから運び出す時には故人の衣服を皆が足で踏んづけるんだという。
生者も死者も世は常ならずとうたうことには憂いがあるが、
死者をこの世から断ち切る引導の渡し方には否応(いやおう)のなさがある。



抹香くさいついでに、今夜は87夜のつづきのお写真。仏くさい風景。
五月に母を連れて登った山の名は、霊山(りょうぜん)。
低い山なのに変化に富んでおり、難所もあり美しい花も草もあり、飽きるということがない。


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屏風岩と呼ばれる岩肌が連なる。


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岩場には鎖がある。遠くを観るとこんな景色。


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赤茶けたこんな道を歩く。


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こんな花が咲いていた。


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五月には山桜の花びらが枯れ葉の上に。


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こんな立て札が。
これもなにやら抹香くさいと思わないか?仏の道の道標とはこうしたものだろうか。

                                            
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by NOONE-sei | 2008-06-07 18:06


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