71夜 花咲か爺


梅も桃も桜もまだ遠い。
この地は四月半ばに桃源郷になる。
順々にではなく、花という花が一斉に咲く。

梅桃桜を春の象徴のように三つの春というのだが、
連翹(れんぎょう)の黄がアクセントになってこれも美しい。
そのあとの林檎や梨の白も美しく、特に林檎の果樹畑の道を通るときには、
わたしはそっとその道を林檎街道と名づけて楽しんでいた。
小道の両側に並ぶ林檎の木の枝ぶりには、強い美しさがある。

春の梅も桜もいいけれど、桃の花がいい。
桃の果樹農家が土地を空きにしないためなのか、桃源郷にはところどころ、濃い桃色が見える。
ピンクではなくクリムゾンレーキを薄めたような色。
薄紅の、桃の節句に飾る桃の花ではなく、いけばなに使われることが多いとか。
果実のためでなく花のために栽培される花。
遠くから見るその花の群は、空気まで甘い。


退院した父が日々元気を取り戻している。
頂いたお見舞いのお返しに客間に積んであった快気祝いの包みは、ひとつ残らず今日で届け終えた。
赤飯をいっしょにつけて届けるという予定だったが、それぞれの先様(さきさま)の都合を考え、
赤飯より多少は日持ちする紅白の饅頭をつけた。
 余談だが、お見舞いと一緒にバナナを一箱つけてくれた人は左官職人。200本あまりのバナナだ。
父もそうだが、職人の考えることは皆、常識を越えているかもしれない。

せいせいしたのだろうか。
それとも天気が良かったからだろうか。
父はまた脚立にのぼった。 (また、、、だ。)
今度は父自慢の松、「カドマツ」ではない。

脚立にのぼるという父をこれまで何度も止めて、
退院してからも数度にわたって、松にかぶった雪をわたしは払った。
小枝を数本折ったことは、口が裂けても言えない。
「カドマツ」め。
これが人で父の弟子か舎弟なら、とっくにわたしはイビリ出しているにちがいない。

朝夕の寒暖の差で、屋根に積もった雪が昼間にゆるみ、夜は氷の塊になって滑り落ちる。
父の建てた数奇屋造りのこの家は、玄関の戸の手前にもうひとつくぐり戸があり、
細かい細工の建具で、屋根は銅で葺いてある。
くぐり戸と玄関の間をつないでいた雨除けの簡便なプラスチックの屋根板に氷の塊で穴があいた。
わたしは脚立にのぼるのを止められず、父は今日その補修をしたのだった。

角材やら必要な道具を持って自慢の屋根にのぼり、ものの15分。
腕は落ちないが屋根から落ちたら困るところ。何事もなかったから良かったようなものの。

まだ、花にはすこし遠い春。
それまでに、父はあと何回脚立にのぼるんだろう、花咲か爺のように。
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by NOONE-sei | 2005-02-22 23:22 | 百夜話 父のお話(19)


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