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43夜 見てはいけないもの


昭和のにおい、そう訊ねたら人の数だけ答えが返ってくるのだろうな、きっと。
わたしには、ピーターさんが昭和のにおいだ。化石のような意味じゃない。
わたしの昭和のにおいには寺山修司のエッセンスが欠かせなくて、
それは学生時代の通学路に、青テント、天井桟敷があったから。
寺山というと、丸山明宏(美輪明宏)を思い浮かべる人もいるだろうけれど、
丸山明宏はどこか三島由紀夫に属しているように感じられて、
江戸川乱歩原作、三島脚本の『黒蜥蜴』のイメージがあり、
ある日年上の従姉妹の週刊誌をのぞき見た、
明智小五郎役の天知茂と接吻した舞台写真が蘇ってしまう。
子どもの脳裏に焼きついた、見てはいけないもの。

ピーターさんが寺山作品に出演したからといって、
それが必ずしも代表作なわけでもないのだけれど、
似合う、というのかな。その線の細さが寺山の舞台の幻想の青さに。
その頃の小劇場の芝居には、時にエロティックで残酷で、
それでいながらロマンチックな、神秘的なところがあった。
そうして、不条理な昭和という社会に抗(あらが)っていた。

具象的な商業演劇、特に新歌舞伎や新派、新劇や新国劇は、明治のにおいがした。
今思えば、親子の情愛や男女の割り切れなさを描く時代物は、
人間の当たり前の感情を呼び覚まさせるもの。その自然さに気づかなかった。
歌舞伎は古典で、日本の芸能は抽象的すぎて身近な気がしなかった。
振り返ればわたしの知性は貧しかった。

先日、松竹の興行芝居というものを初めて観た。
松だの座敷だのがきっちりと描かれた書割(かきわり)に、カツラを付けた時代劇。
松竹といったら、妙齢の女性たちが観るものと思っていた。
舞台で座長を務めるのはピーターさん、芝居とレヴューの二本立て。
芝居は新歌舞伎を基にした『一本刀土俵入』。
ピーターさんの女役の声は、憂いがあって細く、けれど出演したどの俳優よりよく聞き取れる、
通る声だった。

               - - - あらすじ - - -
  取手宿の前で暴れる荒くれ者に喧嘩を挑まれやっつけた力士に、
  宿の二階で見ていた酌婦が話しかけ、身の上などを聞いた。
  いつかは横綱になりたい。夢を語る貧しい力士、駒形茂兵衛は食うや食わずで、
  酌婦お蔦に、立派な横綱におなりよ、、、と金子(きんす)や櫛を貰い、情けをかけてもらう。
  自分はその日一日が生きられればいいんだから、と。
  「よぅよぅ!駒形茂兵衛!」後ろ姿に声を掛けて門出を見送るお蔦の仇っぽさ。

  十年後、今は堅気(かたぎ)になって貧しい暮らしをするお蔦と小さな娘。
  亭主は行方知れずで死んだものと、位牌まである。
  賭場でイカサマをはたらいた亭主が、ヤクザに追われて逃げ込んで来た。
  親子三人で逃げようとするところに旅の渡世人が現れて、お蔦に金を渡そうとする。
  夢果たさず渡世人になりはしたが、茂兵衛は恩を忘れず、
  情けに報いたいと思うのだが、お蔦は茂兵衛が思い出せない。
  やがて、親子はヤクザに囲まれてしまう。
  親子を救おうと、ヤクザを追い払うその姿を見て、お蔦は十年前の茂兵衛を思い出す。
  窮地を救われ金まで貰い、有難さに手を合わせるお蔦。
  茂兵衛は両手を広げ腰を落とし、型を作り、
  これがせめてもの土俵入り、、、と言い残して去ってゆく。
  「よぅよぅ!駒形茂兵衛!」後ろ姿に声を掛けて別れを見送るお蔦の情の濃さ。


・・人情話だった。
『一本刀土俵入』、刀を差したまま土俵入りするのが自然でないということに、
全く気づかなかったのが恥ずかしい。
商業演劇は、見てはいけないものじゃなかったんだなぁ、、、とっくに。
by NOONE-sei | 2007-09-01 14:36


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