子どもと動物は対のようなもので、 動物を拾ってきて家の人に叱られることがある。 飼えずに悲しかった思い出がわたしにもある。 隠れて飼うほどの知恵がまだなかった。 ある大雨のあくる日、わに丸が学校の帰りに何かを掴んできた。 「ビーバーだっ!」 片手で持ち上げて嬉しそうに見せたのは、 へその緒の付いた産まれたばかりの仔犬の骸(むくろ)だった。 川に巣を作るビーバーの生態が教科書に載っていたので、 側溝を流れて来た犬をビーバーだと思ったのだ。 動物は死ぬまで『死』という概念を得ることはないが、 『死』を発見した人間は成長とともに『死』の概念を得る。 けれど、七歳のわに丸はまだ『死』を知らなかった。 じいじが言った。 「これはナ、もう死んでるから、じいちゃんがトラックに載せて山に埋めてきてやるから。」 山から流れる水が川に入り、川の水が農業用水になって側溝に流れ込む。 どこかで産まれた犬の仔をだれかが川に流したらここまで流れ着いた。 捨てられたのだと真実を言えずに、わたしはわに丸にまちがって川に落ちたのだろうと教えた。 その後、アゲハの幼虫やカブトムシ、ザリガニ、沢蟹、ドジョウを捕り飼育したわに丸は、 生きもの係になり、夏休みには学校から預かって家でクラスのさまざまな生きものを飼育した。 生きもの係は四年後、今度は近所の友達と仔犬より大きいものを掴んできた。 「イタチだっ!」 近くの川を流れて来たそれは確かにイタチの骸(むくろ)だった。 「これはもう死んでるから、ふたりで埋めてきなさい。」 ふたりに王様とじいじの黒いゴム長を履かせ、スコップを持たせ、イタチを布でくるんでやり、 「遠くから流れて来たんだね、皮膚が傷だらけだ。埋めたら手を合わせなさい。」 そう言って休耕田に行かせた。 ふたりは穴を掘って埋めたあとに土をこんもりと被せたか、平らにならしたか。 墓にしようとしたのか土に帰そうとしたのか、埋めた場所をわたしは知らない。
by NOONE-sei
| 2007-03-10 02:08
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