85夜 偽りの口


すべての道はローマに通じているのだったっけ?
では真実の道も?
偽りの道も?

真実の口はローマの教会にある。
偽りある者が手を口に入れると、その手首を噛み切られるとか手が抜けなくなるという。
映画『ローマの休日』で知られる、大きな海神の石円盤。
では、何度手首が無くなったか数えきれないにちがいない。
わたしは大勢の子ども達に、無数の嘘をついてきた嘘つきだから。
心とうらはらな偽りを語るのが嘘つきなのだとしたら、その嘘は厄介な道徳に満ちていて、
一方、真実とは、短絡と享楽だ。

子どもというものが純粋な魂かといえば、それはひどく乱暴な問いで、
子どもは野生の欲に満ち満ちて、不完全な姿と思考の、人間以前の「鬼」だ。
罪なことに、ちいさい者は白く光る物を数多く持っているものだから、
おおきい者はそれに目がくらんでしまうのだ。
瞳の黒目の大きさ、そして白目の青いような白さ。
髪の天辺にぐるりと、ちょうど天使の輪にたとえられる白く光る艶。
調和の比率に欠ける姿や、己が神であるかのような振る舞いを何と言う?
天真爛漫?天衣無縫?何故、「天」という文字を冠するのだろう。

神の庭から人間界に下りてきたナニモノカは、まだ「邪(よこし)ま」なものを知らない。
人間になるためには、羽化するまで脱皮を幾度(いくたび)も繰り返さなければいけない。
人間の形は、おおきい者達が与えてゆく。
ナニモノカは、ほどなくちいさい者となり、それらをおおきい者達は愛でるけれども、
どれほど永くと望んでも、その蜜月には終わりがあることを知っている。

聖なる夜、ちいさい者の枕辺に贈り物を届けるといわれている老人がいる。
ちいさい者達は待ちわびるけれど、それは、羽化にひと足ひと足と
ちいさい者を近づかせる、白い髭の老人の姿を借りた、姿なき者。
来なければいいと望んだ蜜月の終わり、
姿なき者には、おおきい者が真実の名を与える。
ちいさい者への贈り物は、喪失。おおきい者は自らの手で喪失を与え虚無を受けとる。
ときには代償に、ちいさな悲しみも虚無には付随する。

天使のようなナニモノカは、たちまちのうちにちいさい者となり、やがて喪失を知るが、
受けたその洗礼で、ちいさい者は新たな名を得る。
子ども、という名の、人間になる脱皮をした者達は、小鬼のような貪欲さで生きる。
あと幾度の脱皮が待っているだろう。
それまでは、天使達であったことをとうに忘れてしまった天と邪と鬼の、
ただの「天邪鬼(あまのじゃく)」だ。

偽りの口はどこにあるだろう。・・それはわたしの中に。


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ついこの間のイヴから幾日も経っていないのに、浮世はもう師走の騒々しさ。
時間の流れに追いつけなくて、まだわたしはクリスマスのことを考えている。
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by NOONE-sei | 2006-12-28 22:34


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