75夜 泣かせてフラガール


「一山一家」
時代は石炭から石油に変わるとき、次々と閉山を余儀なくされる炭鉱会社。
豊富過ぎて捨てている湯、その湯脈のせいで落盤事故や鉱脈の水没と背中あわせの採掘場。
その日その日を命懸けで働く荒くれ男たち。

「東北のハワイ」
斜陽を 捨てている湯で乗り切ろうとレジャー産業を興(おこ)す。
山から帰る煤(すす)けた男たちは、ボンネットバスに皆鼻を押し付けるようにして
酒をらっぱ飲みして車の荷台に載るダンス教師(松雪泰子)を”ハワイだ、ハワイだ”と呼んだ。

『求む、ハワイアンダンサー』
時代の波を掴めない労働者たち。炭鉱を閉じる現実を受け入れられない。
久しぶりに志賀勝を見たと思ったら巨女の親父役で、娘を売りに来たかのような、
やっぱり酷(ひど)い役が似合う。
ダンス教師をはるばる追って来る借金の取り立て屋を寺島進が演じていて、これは若ければ
スッポンのような志賀勝の役かと思ったら、志賀の親父はちゃんと死んで、山崎静代演じる
娘(熊野小百合という役名も酷くて嬉しい)のダンサーとしてのプロ意識の芽生えに
一役買うところがまた嬉しい。

「何がわがる!」
いつもアロハシャツで教師や踊り子志願の娘たちを世話する吉本(岸部一徳)。
飄々としているけれど一度だけ教師を叱責するシーン。聞きとれない観客がほとんどだっただろうが、
実はここに本音の単語が幾つもあり、常磐(いわき)弁そのもの。
この映画の出演者は、岸部のみならず怪演怪優揃いだった。

「バレエシューズ」
田舎を軽蔑し、素人すぎる娘たちに教える意欲を持てない教師と紀美子(蒼井優)が争った後、
ピンクのバレエシューズが稽古場に置いてあった。メーカーはチャコットじゃなくてシルビア。
稽古するほどに足に馴染む、ダンサー好みのシューズ。

「タヒチアンダンス」
ひとりの稽古場で教師が踊る。松雪泰子が美しい。同じダンスを後に紀美子が踊る。
涙なくしては観られないクライマックス、施設オープンこけら落としのダンス。そのときの
ソロダンスにもなる。踊りは皆、当時の振り付けをほぼ再現しているとか。


いい映画だと聞いていた「フラガール」をやっと観た。
女たちの成長物語と見てもいいし、町おこしと見てもいいし、無くなると知っていながら
炭鉱に運命を委ねる男の物語と見てもいい。幾層にも重なるドラマがあった。
舞台は父が少年期から青年までを過ごした浜であり、炭鉱の町。
そしてわたしが成人するまで本籍地だった場所。
映画の中で延々と続く炭鉱住宅は、当時を思い出させる。
父の兄弟は所帯を持って皆この住宅に住んでいた。

いわき市に住んだことはなく幼い頃に訪ねた記憶しかないが、わたしの戸籍は炭鉱住宅にあった。
映画の中では貧しく描かれていたけれど、紀美子が母(富司純子)に踊りを反対されて
縁側に正座しているシーン。現実の伯父の家にはその縁側の下に池があり錦鯉が泳いでいた。
伯父の家に泊まった朝、豆腐売りの声が珍しかったわたしは、
その声をよく聴こうと縁側に立ったら、池に落ちて大騒ぎ、笑う伯父たちは皆底抜けに明るかった。
伯父たちはどの伯父も非番には昼から酒を飲み、朝から刺身を食うこともあった。
浜から魚が揚がるから、肉より魚が身近だった。

板一枚の下は地獄。だからその日その日を楽しく暮らす。食いたければ朝だって刺身だ。
そんな暮らしをしていたが、末の弟の父には将来を安定させてやりたかった兄たちは、
父を大工の年季奉公に出した。それ以降、父は炭鉱住宅に住んでいない。
そしてそこで育たなかったわたしはボタ山を憶えていない。
戸籍だけがあった住宅も今はなく、跡地に石炭化石館というミュージアムが建っている。


父のこと
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by NOONE-sei | 2006-11-21 00:24 | 新々百夜話 父のお話(8) | Comments(15)
Commented by mamekichi at 2006-11-21 06:36 x
この頃,映画はほとんど見なくなってしまいましたが,芸能ニュースなどで,どんな映画が公開されているかだけは知っています.
“フラガール”は,実話に基づいている話のようですね.
常磐ハワイアンセンター,東海地方に住んでいるmamekichiは,もちろん出かけたことはありませんし,オープンの頃は小学校4年か5年でしたが,テレビでコマーシャルを見たような記憶もあります(ニュースかも知れません,記憶はアヤシイです).
「へぇ~,ハワイってこんな風なところなのか」と,一種の感動を覚えました(バカ正直な田舎の小学生丸出しで,お恥ずかしいのですが).
しかし,映画のPRをみると,南海キャンディーズのしずちゃんって,こんな顔だったの?!と,これまた変な感動を覚えています.
以上,相変わらず,支離滅裂コメントでした.
Commented by 廃墟徒然草 at 2006-11-21 06:45 x
トラックバック、ありがとうございます!

フラガール、ご覧になったのですね!
セイさんのコメントを読む限り、
『三丁目〜』よりは見応えがありそうですね。
見たいのはやまやま、でも時間が・・・
きっとDVDで見ることになってしまうんだろうなぁ〜
と思ってます。

そうでしたか、セイさんの本籍は、
常磐炭鉱だったんですね。
3年くらい前にいわきへ行きました。
目的はいわき美術館でやっていた、炭鉱美術展を見にいくためでした。
東京から直ぐ着くかと思いましたが、4時間もかかり、
結局美術展の他は施設跡を幾つか見ただけで帰らなくてはなりませんでした。
帰り際にコンビニに寄った時に、
その隣に石炭化石館がありました。
あそこがセイさんのご実家があった所なのですね。
今、その時撮った画像を見返しています。

本州で唯一の大炭鉱街、
そして国内で唯一、閉山後も活性化に成功した炭鉱。
不思議な場所ですね。
 
Commented by sakurai at 2006-11-21 08:28 x
ひっそり、なんていわねくていかっぺよぉ。
なんてね。
いい映画でした。素直にいいと言える。人間の強さと、凄さと、本物のもつ力のようなものを感じました。一度行ってみねば・・・。
裏の方に山があり、水がこんこんと流れているところには、昔から普通に鯉っていましたよね。そんなに高級なものでもないし、結構残飯整理なんかさせてたりして。
鯉を高級品にしちゃったのは、田中某あたりからではなかったかと。
Commented by NOONE-sei at 2006-11-21 21:49
mamekichiさん、
わたしの場合、映画は結構観るのですが、学生の頃のようにはマイナーなものを観なくなりました。
若さに輝いているうちに、難解なものも不条理なものも観ておくことですね。
フラガールはいい映画でしたよ。しずちゃんがテレビのように演じすぎないのも良かったです。
本物のハワイって、豊かさや幸福の象徴だったから、遠いあこがれですよね。
ハワイアンセンターは庶民が手を伸ばせるハワイだったのかなぁ。
コマーシャルから遠きハワイを想像したmamekichiさんは、田舎の小学生?
わたしは山の小学生。「どこぞも同じ秋の風」であります、わはは
Commented by NOONE-sei at 2006-11-21 21:49
廃墟徒然草さん、
お忙しいのにわざわざおいでくだすってありがとうです♪
炭鉱そのもののシーンは思ったより少なかったですし、
個人的思い入れが重なって観たものですから、わたしのレヴューもどきは怪しいですよ。くすくす
ご覧になれるといいですね。

はい。一度だけ石炭化石館にも行ったことがあります。
見返した画像はいかがですか?機会があったらわたしも見たいなぁ。
炭住ではないのですが、あのあたりにはカーボンを塗ったような「紙の屋根の家々」があって、
戦後まもなくインスタントに建てた家に紙(のようにわたしには見えました)の屋根は貧しく見えました。
道路のすぐ脇に防空壕がぼこぼこあるのも異様ですし。
今もあるんじゃないかしら。
時間があったら、そんな場所も撮れたかもしれませんね。

ハワイアンセンターで就労できた人は全体の一部です。
わたしの親類は炭鉱に最後まで残ったくちだったらしく、
閉山後いわきを出たので、地元に親類はおらず少し寂しいです。
Commented by NOONE-sei at 2006-11-21 22:17
sakurai さん、
ぎょ。ひっそりそちらに伺ったのにばれちまった、ゆるしてくんちぇ♪
田中なにがしまで出てくるあたり、歴史にさといsakurai さんらしい。はは
sakuraiさんのような視点で映画を観るとより深まりますね。
ところで一度行ってみましょうよ、ハワイアンズ。踊りも見なくては。
当時豪華スターが来るのが不思議でした。炭鉱の慰問という名目があるから
地方では呼べないような有名歌手を呼べたのだそうですよ。
Commented by at 2006-11-22 16:35 x
なるほど・・
セイさんには思い入れのある映画だったのですね。
そしてそのできにすごく満足されている様子が良く伝わってきます。
ずずっと読ませていただいて、私も見てみたくなりました。
ハワイアンセンターといえば、どこの温泉地にもつき物のようなきがしていましたが、
あの地熱が植物を育てるのに良いからかなと思っておりました。
でも、確かにハワイ=南国=パラダイス的な発想があの時代はありましたね。
かくいうわたしも、「南の島の酋長の娘」の方が「北欧の美女」よりも惹かれます。(なんのこっちゃ!(=^^=)ゞ)

Commented by NOONE-sei at 2006-11-22 17:09
ひすさん、
いつもなら、いぢわるな映画評もどきを書くわたしなのにねぇ・・・
泣かせる映画にはかないましぇん。しかも思い出の地だったし。
でもへとへとになるので、こういう泣かせる映画は、一年に一本くらいでいいかも~。はは
映画は良かったのですけどね、その後の父方の一家離散を思うと複雑です。
町を再生させた娘たちのひたむきさの陰に、現実にはリストラされた多くの労働者がいるわけだから。

ところで、雪のお城の女王さまより、南国のおねいさんのほうが、恐くなさそうじゃない?ぎゃはは
Commented by 廃墟徒然草 at 2006-11-22 18:31 x
ハワイアンセンターへ就職できた人はほんの一部・・・
そうでしょうね・・・とても炭鉱就労者の全員は無理ですよね・・・

紙のような屋根、という印象はすごいですね!

いわきへ行ったときはハワイアンセンター、
あっ、今はSpa Rsort Hawaiiansでしたね。
へも行こうと思いましたが、
結局時間がなく、
石炭化石館も外から見ただけでした(^^;

なもんであまり役には立たないと思いますが、
近々blogにアップしてみます。

Commented by NOONE-sei at 2006-11-22 22:06
廃墟徒然草さん、
わっ。嬉しい予告をありがとうございます。

紙、、、もしかして「ような」でなく、ほんとに紙じゃないかと思うのですよ。
そう聞かされたような気がするのです。
他所であぁいう独特の屋根を見たことがありません。
真っ黒な家です、全部、壁も。
廃墟徒然草さんなら、見たらきっとわたしと同じように
見過ごせなくなると思います。
あぁ、どこかに詳しく説明されていないかなぁ、紙の屋根のこと・・・
Commented by NOONE-sei at 2006-11-22 22:59
廃墟徒然草さん、追伸です。
ありました、紙の屋根のことが新聞の記事の一部に↓
http://www.minyu.co.jp/jidai/060313.html
炭住の屋根が厚紙でコールタールが塗られていたと記述されています。
記憶では伯父たちの炭住の屋根ではなかったのですが。
どこかに残っている家を見て記憶しているのかもしれません。
そして、もしかすると戦後ではなく戦前からの炭住だったのか、、、
あやふやでごめんなさい。
Commented by 廃墟徒然草 at 2006-11-23 02:51 x
おおーーー!「紙」ですね!
「コールタールを塗った厚紙の屋根」と確かに書いてありますね!
びっくりです!

いわきへ行った時は、結局殆ど見学できませんでしたが、
そのかわり美術館で分厚い常磐炭鉱の資料を3冊くらい買ってきたので、
もう一度めくり返してみます。
 
Commented by at 2006-11-23 09:10 x
みろく沢炭坑資料館の入り口は、
薮の中に埋もれそうな
非常に狭くて急な砂利道を
しばらくのぼったところにあります。
道の所々には古い坑道口があって、
常磐炭坑でももっとも古い採掘坑も
近くにあるそうです。

炭坑住宅も今ではほとんど残っていません。

みろく沢のおじさんはいつまでもいつまでも
丁寧に説明してくれました。
Commented by NOONE-sei at 2006-11-23 23:07
廃墟徒然草さん、
「紙」で話を引っ張ってごめんなさい!(でも引っ張る~)
今日、こんな話を聞きましたよ。
埼玉の大宮近辺にもコールタールの家があったそうです。
おそらく屋根も紙?真っ黒の家で、入ると小さな土間、地面からわずかしか高さのない畳、
戦後すぐに建てた家なんだそうです。やっぱり、あったんだぁ・・・
実際に見るのは、いろんな意味で(複雑な気持ちになるので)嫌ですけど・・・
Commented by NOONE-sei at 2006-11-23 23:23
坊さん、
新聞の記事に載っているおじさんですね?
白木の五重塔がめずらしい、白水阿弥陀堂までは行ったことがありますが、
そういう私設資料館があるのですか。

炭鉱労働者、最後の年代の方ですね。浜の気質だから、湿り気がない方だろうな、きっと。
でなければ、閉山は辛すぎますから。
そして、恨みもないのだろうな。

そうそう、航空写真で見る常磐湯本は、石炭を運んだ線路が網の目のようで、
廃線がいっぱいで、不思議な地図だそうですよ。
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