時おりの休息  無口な猫


今から七年ほど前のこと。
一匹の黒猫が家の裏に来るようになった。長い時間いるわけではなかったが、
雨の夜なぞは雨宿りをして、朝になるといなくなっていた。
        * * *
その二年か三年ほど前のこと。
気が向けばやって来る茶猫がいて、母は飼い慣らすでもなく追い払うでもなく、あるがままにさせておいた。
茶猫は、どこかで飼われたことがある風だった。触る気なら触れたのかもしれない。

我が家には、野良には触らないという不文律がある。衛生的な理由ではない。
たとえ捨て猫でも子猫でも、触るということは飼うという覚悟を意味すると考えている。
触れば情が移る。情が移ったら名をつけて、呼びたくなる。
名を与えるということは、生き死にを引き受ける覚悟だ。

一戸建ての貸家群がある。
新婚で入居して、子供が小さいうちは懸命に働き金を貯め、皆、山の上の分譲地に家を建てて出てゆく。
その群の中央にある子供用の遊び場に、ある日子猫が捨てられた。
駐車している車の下で雨露をしのいでいる子猫を可愛いと抱っこしては、餌をしばらく与えた若い母親が、
明日は引越しだと、荷造りをしていた。子猫を連れていくんだろうと思って訊ねたら、驚いたように、
もちろん連れてゆかないに決まっているではないか、と答えた。
二度捨てられた子猫は、ほどなくどこかへいなくなった。
わたしはわに丸に、飼えないものをどんなに可愛いと思っても決して触ってはいけないと教えた。
        * * *
数ヶ月も、毎日のようにやってきては縁側で昼寝をしていった茶猫は、
あるときからすいと来なくなり、以来姿も見かけない。
気侭(きまま)で失せたのか、どこかで死んだのか、姿を見せずにさよならをいう野良は残酷だ。

だから黒猫には、いつ別れがきてもいいように、今度こそは心残りのないように、母は餌を与えた。
クロと名を与えたその猫は、朝だけどこからかやって来て餌を食うようになり、
ふいと、まだ子猫の雑巾のようなぶち猫を伴なって来た。よく見ると、孕(はら)んでいるようだった。
近くの家の敷地の奥から鳴き声がするので、子猫が子猫を産んだと知った。
父と母は、思い悩んだ末、餌を与えた猫の、妻も子も引き受けることにした。

野良の子は、三匹が三匹とも、小さくても野良だ。
人の姿に、ちびのくせに赤い口を開けて威嚇する。触れるものではないので、
父は木で仕掛けのあるケージを作り、母子を罠で捕まえて、医者で不妊手術をしてもらった。
        * * *
前世は動物使いではなかったかと思うほど、動物を手なづける才のある父に、クロは時おり
触らせるようになり、呼びかけると返事をした。三匹の子猫を懸命に育てる母猫にはブチと名づけた。
ブチ コ は無口で威嚇ばかりで、踏んづけられでもしなければ、うんともぎゃぁとも言わない猫だった。
初めての冬、雪に驚いたのかはしゃいだのか、子猫が二匹いなくなり、一匹は車に轢かれた。
残った一番器量の悪い臆病な猫は、アク コ という。

一日に一度だけ現われる気侭な亭主に、ブチ コ は惚れていたんだろうと思う。
王様なぞ、他所に妾宅があってこちらは本宅なのか実はその逆かと三匹が寄り添う朝の姿を見ては笑った。
そのクロも、昨年の初雪が降る頃からすいと来なくなった。家族は誰もクロの名を口にせず、
淡々と日々を過ごしている。


・これは昨年書いたおはなしの下書きに加筆修正したものです。今までなんとなく人前にだせずにおりました。
今朝、ブチ コ が帰っていました。
なんのためにどうしても外にゆくのか考え、生活領域の縄張りの見廻りをしにゆくことに思い至りました。
日課ですから、仕事ですから、どうしてもやらねばならなかったのでせう。だから今、それにつきあってきたところです。

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by NOONE-sei | 2006-08-13 01:32 | 新々百夜話 父のお話(8)


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