45夜 顔の無いお母さん 


「母」という言葉の持つイメージは深い。
愛という養分を吸って育つ植物が「子」だ。

「子」は「母」というものに漠然としたイメージを持つ。
それはこの世のものでない聖母マリアのようなイメージで、
慈愛を纏(まと)って「子」に抱擁する。
この世に生きるものは皆、等しく「子」だけれど、「個」でもある。
けれど、憧れて願うとき、「母」の像はどこか「個」ではなく「子」の群れの願いだ。

「母」のイメージはひとつでも、現実の母とは、子が百人いれば百通りある。
現実の子の願いは共通していて、せつない。
ちいさな塾にはちいさい子が幾人もかよった。
養分が足りなくて育たない子を見た。
見て欲しいばかりに、嫌われることをする子を見た。
母だけを目で追う子を見た。
いそがしい母の顔を黒く塗りつぶした子を見た。

母を知らずに育った子がいた。
母の日の絵を皆が描く中、どうしても描けなくて幼稚園の先生に
 「僕には三人のお母さんがいるんだよ。
  新しいお母さん、お世話してくれた先生、僕を産んだ、顔の無いお母さん。
  だれを描いたらいいのかわからないんだ。」

悲しくて涙を流す新しいお母さんに、ベテランのお母さんが言った。
 「こどもが小さいと、ほんとうにいそがしくていつも張り詰めていていつも悲しいね。
  でも。だから、こどもがお花を摘んでその一本をくれたら、もうそれだけで幸せにもなる。
  顔の無いお母さんに、いっしょに憧れてあげなさい。
  それは現実のお母さんじゃないの。
  聖母マリア様なんだから、みんなが憧れるお母さんなんだから、・・ね。」

そう教えたベテランのお母さんこそ慈愛で抱擁する「母」そのものだった。
  
[PR]
by NOONE-sei | 2006-07-03 00:41 | 新々百夜話 本日の塾(9)


<< 46夜 さくらんぼ伝説 44夜 呼び名を呼びな >>