31夜 鶴は折れない


思春期の小生意気な年頃。
語彙数が増え、それを使ってみたくて妙にこねくりまわす、おかしな会話。
中学生の頃、回りは皆大人びていたので、
わたしは格言やら故事成語やらが入り混じった、やたらむずかしい言葉にかこまれていた。

口下手でも、耳だけは肥える。
本を読まないわたしがこうしてなんとかお話を書けるようになったのは、
中学時代の、口達者な回りのおかげかもしれない。

あんまり理屈っぽいことを「小理屈を語る」というが、
そんな会話をするいつも成績のよい男子に、活発で成績はまあまあの男子がひとこと、
「そんなしちめんどくさいことは、鶴を折れるようになってから言え!」と言った。
その時の「腑に落ちない」ならぬ「腑に落ちる」思いは強烈で、
それは、ものを見聞きするときの、いまだにわたしの大切な物差しになっている。

あたりまえのことをあたりまえにできるということは、とてもむずかしい。
できる、ということと、やったことがある、ということの間には大きな差があるように、
やったことがない、ということと、まったく知らない、ということの差ははてしない。

塾で小学生のちいさいさんに、折り紙で折々の季節や歳時で壁面を飾ってもらう。
・・といえば、まるで一緒に遊んでいるようだが、わたしは遊びようを知らない。
だから、こんなのを作ってくれと頼み、あとはおまかせ。
わたしはちいさいさんから教わることばかり。ちいさな手から繰り出される折り紙の数々、
ためいきがこぼれそうな見事な立体には敬服するばかり。

けれどここ二年ほど、おまかせできない子が続いている。
できると言ったものの実際には折り紙の経験がほとんどなかったり、
ハサミを紙に垂直に刃を当てられなかったり。やりたくないのではない、つまり、できないのだ。
今日は、朝顔を折ろうということになって、色や葉の形を調べ、蔓(つる)の巻き方を知った。
以前なら自分達で図鑑をめくり、頼まないのにわたしの嫌いなものまで調べてくれたが。

今日、塾で初めて折り紙をした。
・・そろそろ、一緒に鶴を折る日も近いかもしれないな。
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by NOONE-sei | 2006-05-30 03:28 | 新々百夜話 本日の塾(9)


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