27夜 おじさんの匂い


今朝、来客があって、お茶を入れながら鼻がかゆくなった。
あぁそうだ、整髪料の匂い。おじさんの匂いだ。

どこかへでかけるのに背広を着た、父の姿は好きだけれど、
いつもは寝癖の髪を整髪料でなでつける、その匂いには困る。

中学生になったばかりのときには、前から二番目のちびだったから、
中学三年生の男子は皆おじさんに見えてこわかった。
先輩でさえこわいのに、同じクラスにはすでに声変わりしている男子もいて、
中学校という場所は、信じられないほどこわかった。

担任は、格好良かった。
めずらしいアンティック車に乗っていて、朝、遅刻しそうで駆けていると、ときどき乗せてくれた。
なにか生徒を諭さなければならないときは、「・・さびしい事です。」と言うのが口癖で、
太くて低くて、よく響く声だった。
姿は背が高く、いつもダブルの背広を着て、髪をオールバックになでつけているのだが、
不思議にあの整髪料の匂いがしなかった。
不思議で不思議で、匂いがないと、先生の枕は汚れないのだろうかと余計な心配をした。


数ヶ月前に病気でご主人を亡くした年長のお姉さまの所に、先日ご機嫌伺いに行った。
ずっとご亭主にかしづいて出世を陰から支える、古きよき婦女子の教育を受けた世代の女性。
その控えめな立ち居振る舞いはもとよりきれいだったが、
葬儀に参列したときに遠くから見た、そのひとのお辞儀の美しさに驚いた。

亡くなるまで、ご亭主の人格が崩れなかったことを聞いた。
無口で愛想がなくて、仕事ばかりでどこにも連れて行ってはもらえなかったけれど、
看病で一生分の手を握ったと聞いたときには、不覚にも涙がこぼれた。

手を合わせた仏壇の横に透明の袋があり、不思議に思って訊ねると、
「匂いなの。」開けて見せてくれた袋には、帽子が入っていた。
  「子供には仕事ばかりで思い出を作ってやれなかったから、罪滅ぼしに、
  孫のことはとてもかわいがったの。これは主人がかぶっていた帽子でね、
  孫たちはときどき寂しくなると袋を開けて匂いを嗅ぐの。
  『おじいちゃんの匂いだ』って。そしてすぐに袋の口を閉じちゃうのよ、
  『匂いが逃げちゃう』って。」

よくある整髪料、おじさんの匂い。
その子たちは困らずに、なつかしく嗅ぐのだろうな、おおきくなっても。
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by NOONE-sei | 2006-05-14 03:04 | Comments(6)
Commented by ひす at 2006-05-14 15:51 x
パイプ用の刻み煙草の甘ったるい香りは、厳しく優しかった祖父、
真夏の夕立後のアスファルトのにおいは、祖母との買い物…
私の場合もそのように、年々鮮やかになってゆく記憶があります。

においは、映像以上に記憶を鮮烈によみがえらしますからね。
そのお孫さんたちには、優しき暖かく、とても幸せな匂いなのでしょう。

なくなられたご主人は本当に良い奥様をお持ちでしたね。


Commented by akasatana-xyz at 2006-05-15 12:29
私の父の匂いも、やはり整髪料の匂いです。
「枕が汚れそうだな」と思っていたのもセイさんと同じかも。
父方の祖父は、よく風呂焚きの火の番をしてたので、
薪が燃えるときの、陽だまりのような匂いの記憶があり、
母方の祖父は、「老人の匂いがすると嫌だから」と
自ら気をつけていたせいか、整髪料も使っていませんでした。
高校の時の担任の若い先生は、煙草を吸うのにぜんぜん煙草臭くないのが不思議でしたが、ある日、せっせとモンダミンで口をゆすいでいるのを目撃して合点しました。
以前、dayzさんのとこで味覚の記憶について考えさせられましたが、嗅覚も同じことがいえるような。
映画や音楽みたいになにかで再現するのが難しくて、ふとしたことで記憶が甦ってきてはっとさせられるところが。
Commented by NOONE-sei at 2006-05-15 18:16
ひすさん、
匂いに記憶を蘇らせる効果があるとは、しかも映像以上だとは、
考えたことがありませんでした。
27夜は、書いたわたしの手を離れてひすさんの思い出のスイッチを入れたのですね。
なんとも感慨深い。

お元気だった頃、このご主人が理解できずに「高倉健」という仇名をつけ、
わたしは古きよき時代の夫婦像を複雑な気分で見ておりました。
Commented by NOONE-sei at 2006-05-15 18:38
あかさたなさん、
匂いでこれほど思い出す事柄があるあかさたなさんは、豊かだと思います。
もし再現描写ができるとしたら、やっぱり「書く」という行為なのでしょうか。
追体験とか想像力に助けられて、近い感覚を呼び覚ませるというか。
dayzさんのところで、友人のお母さんの味を読んだときに、
http://lunarbase.exblog.jp/4113265/
気持ちがずきずきしたの、覚えています。コメントできませんでした。
はっとする・・あかさたなさんのいうとおりだと思いますね。
Commented by sati at 2006-05-18 02:55 x
セイさん、blogへコメントありがとうございます。

匂いといえば…私の父は故人なのですが亡くなってから数年は思い出されるのは入院中の苦しそうな顔ばかりでした。
ですが、ある年「あ、今日お父さんの誕生日だ」と気が着いた瞬間、なぜか臭い靴下の匂いがしました。
靴下の匂いと一緒に、亡くなってから初めて元気な姿を思い出して、びっくりしてなんだか嬉しかったというか、面白くて笑っちゃいました。臭くても良い匂い?なんでしょうね。臭いけど…。
Commented by NOONE-sei at 2006-05-18 11:20
satiさん、遥か辺境のこんなところに、ようこそおいでくださいました。
「ロバと王女」以来ですね。あれから読み逃げさせていただいてました。
田舎暮らしと出不精ですが、satiさんが観に行かれる展覧会は食指が動いていたものが何故か多く、不思議でした。また、それがどんなものだったかを読ませていただくのが楽しみでした。

匂い・におい・臭い・ニオイ・・・でも香りとはちがうから、ほかに言いようがありませんよねぇ。
わたしは肉親をなくした経験がまだないので、satiさんの鮮烈なひらめきを理解するには至りませんが、貴女の書いてくださった↑文章、いいです、とても。
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