10夜 ずっとともだち


ふたり。
ふたりはいつも見つめ合ってはくすくすと笑う。
大親友、それは不思議なことじゃない。
不思議なのは、ふたりでなにかを決めるのを徹底して避けること。

最初は互いにどうぞどうぞと譲り合い。
次に自分の考えを伏せて相手の意見を引き出す。
その次に、提案したのはそっちだからね、という念押し。
そのまた次は、そうはさせじと押し問答。
いよいよ不仲になっては困るので、そもそも何故これを決めねばならないか、とふりだしに戻る。
それでも決めねばならないと観念して、最後は選択肢を紙に書いてくじびき。
これで責任はおあいこだ。

そばで見ていると、丁丁発止、駆け引きは張り詰めている。
いつ足元をすくわれるかと、気が抜けない。
それでも引き合うように一緒にいないではいられない、共棲し合うふたり。
だから、ふたりの間は閉じていて、おそらくは、目も閉じていて、互いしか見えない。

この不思議なふたりの十歳の話を王様にしたら、
「生まれた時から女だからね。おんなおんなしいもんだよ。」
意味がわからない。めめしい?それともおんならしい?
・・『ともだち』という玉手箱、何が出るのか薄寒くて聞けない。
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by NOONE-sei | 2006-03-24 18:52 | 新々百夜話 本日の塾(9) | Comments(2)
Commented by ひす at 2006-03-25 14:17 x
意識的にか、無意識にか、それは分かりませんが、
傍目にはお互いにすごく気を使っているように見えながら、
実は自分自身が嫌われることを怖がっているようにも見えますね。
それゆえ、お互いが親密に接していたいという風にも見てとれます。
一人で過ごす野をすごく怖がっているような…
最近若い子(10~20代)の子達ともよく遊ぶのですが、
おおむねそういう傾向の子が見受けられます。
一概に良いか悪いかは言いかねますが、
打たれ弱いように見えて、反面すごくしたたかな考え方もできるのに驚かされます。
Commented by NOONE-sei at 2006-03-25 16:07
ひすさん、
うん、結局、こわがりなのではないでせうか。
互いを気使うかのように見えるけど、外からの自分への評価に気を使う、
つまりは、「自分(だけ)に」気を使っている、
この子供たちの様子は、なかなか見ごたえのある「醜さ」でしたよ。
「打たれ弱い自分」をよく知っているから守りに長けるのかなぁ。
したたかさは、老獪(ろうかい)さとも言い換えられるくらい。まだ小さいのに。
思い切って、どこかで割り切って、いつまでも自立から逃げていないで、
自分の身にちゃんといろんなものを引き受ける日がくるといいけれど。
この10夜のふたりは、あぶなっかしい緊張感をいつまで保てるかなぁ。
わたし、はやく関係が崩壊してみればいいんだ、と思うです、意地悪いですか?
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