73夜 錦の刺繍


紅葉の秋を錦秋、錦繍と言うとか。

もうすっかり秋は姿を変えて冬の入り口だ。
紅葉、黄葉、落葉前の樹木の葉が染まるのを愛でる、
紅葉狩りは十月からせいぜい十一月の初めあたりまでだろう。

昨秋は、だれかが「もみじ狩り」を「こうよう狩り」と言って笑わせてくれた。
紅葉(こうよう)は、今でこそ赤いモミジを思うけれど、万葉の頃のそれは黄葉。
紅葉が紅葉を意味するようになったのは平安の頃だという。
そして、指のように五つにくっきり裂けた紅い葉を指し、特にモミジと名づけているけれど、
紅い葉のそれらはカエデ類。ほかにも紅い葉になるのは、わたしの苦手なウルシ科の落葉木。

小さい頃、春の芽が萌え出す頃に山を歩くと、触ってもいないのに顔がかぶれて、
ぼた餅のような顔に病院で薬を塗られ、包帯でぐるぐる巻きのミイラ男のようになるのが嫌だった。
わたしはどれがウルシの木なのか、今も見分けられないので、山に入ると植物にはめったに触らない。
父が言うには、山菜のタラの芽とウルシの葉はよく似ているのだとか。

この秋、渓流沿いに渓谷を歩き、山に登って色の森の中を歩いた。
磐梯朝日国立公園に、安達太良も吾妻も磐梯山もある。
磐梯山のふもとの渓谷までは家から車で約三十分。中津川渓谷という一級河川。
川には岩魚が泳いでいた。
父に教わって、岩魚(イワナ)と山魚女(ヤマメ)の違いを初めて知った。岩魚の胸ビレは白い。

その日は行楽日和で、観光バスや県外からの車がたくさんあり、
山行きのいでたちの旅行客が上を見上げ、景色を眺めながら大勢歩いていた。
けれどだれも川を覗き込まない。
立派なカメラを携えた一団が山道をそれ、日光の差す美しい葉と葉の重なりを撮影していた。
先生と呼ばれる男性に、カメラを向ける位置を指導され、ひとりが驚嘆の声を上げる。
「世界が違うわ!」
けれどだれも苔の生えた地面に落ちた葉を見ない。

ひととおり歩き終え駐車場に戻ったら、何故だろう、カメムシが地面を数えきれないほど歩いていた。
父の母、わたしの亡くなった祖母の強烈な思い出が蘇った。
 家の中にカメムシがいて、触ろうかどうしようか迷ってわたしがじっと見ていたら、
「セイ、こんなものはこうするんだ。」
ぱっと掴んでぱくっと口に入れ、あむっと噛んでぺっと出した。
カメムシは触ると臭い。いつまでも手には臭いが残る。それを婆ちゃんは噛んだ!

戦後、満州から家族全部を連れて無一文で引き揚げた祖母にとって、
虫一匹をじっと見るわたしが、どれほど不甲斐ない子供に見えたことだろう、と今になって思う。

c0002408_23185179.jpg
山道には苔が生えている。滑るから足元に気をつけて歩く。

c0002408_23153397.jpg
渓流。岩魚は流れに逆らって泳ぐ。

c0002408_23154819.jpg
中津川渓谷を山から見る。この渓流に沿って歩いた。

c0002408_23183617.jpg
渓流の足元にはこんな落ち葉が。

c0002408_2315184.jpg
むこうの山は磐梯山。頭だけがちょこっと。
[PR]
by NOONE-sei | 2005-11-15 23:51 | 新百夜話 父のお話(4)


<< 74夜 一隅 72夜 みにくいアヒル劇場 >>