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71夜 まんまごとと、のんのさま


赤まんま(犬蓼)を
赤飯に見立てて料理、花に見立てて花束。
子供の遊びは見立てごっこだ。ままごとは、そのひとつ。

ちいさな頃、とかげのしっぽを見つけたときはうれしかった。
今でこそ、あの類(たぐい)は勘弁してもらいたいが、
あの頃は、ミミズもつまむことができたように思う。
わたしに限らず、今はもう苦手だけれども、
ちいさな頃には、たとえば虫だって掴めた、という人は案外いるんじゃないか?

とかげのしっぽは、スープで煮込んだら白雪姫の継母になってしまうので、
毒林檎は作らずに、わたしは宝石箱を作ることにした。
箱を用意するわけではない。
地面を掘って草を敷き、しっぽを置いて周りに花を散らす。
そこいらで拾ったガラスの破片で蓋をし、土を被せて出来上がり。
ときどき土を掻き分けてガラスの下を覗く。
しっぽの棺(ひつぎ)のようだけれど、これは大真面目に宝石箱だ。
けれど次の日もこれを見るかというと、そうでもない。
・・次の日には次の日の遊びがある。

今朝、新米が幾俵も届いた。
我が家は毎年、一年分の米を近くの兼業農家から譲ってもらう。
今年は米と一緒に、お百姓さんの子供もついてきた。
歳を聞いても、駄賃に菓子を与えても、
この黄色い長靴を履いた子はぺこりんぺこりんとおじぎをする。
今朝は天気が良いのだけれど、きっとこの子はいつも長靴なんだろう。

うちの玄関へのくぐり戸には、木槌が下げてある。
野武士が寺でも訪れて、こんっこんっ、たのもぉーー。とでも言うのに使うような。
それを見つけて見上げた子が、指差してのんのさまと言う。
抱き上げて厚い板を叩かせたら、ちいさな手と手を合わせた。
木魚だと思ったのだろうか。

わたしは小さな頃、月をのんのさまと言って、なぜか手を合わせたけれど、
この子は神も仏も、もしかしたらなんでもかんでものんのさま?
きっと年寄りと暮らしているんだろう。

甲にえくぼのある、ちいさな手。
あたり前のように手と手を合わせる不思議なかわいさ。
このままでいればいいのに。
・・明日は見ないけれど、宝石箱の記憶を 今日一日はときどき覗こう。
by NOONE-sei | 2005-11-09 10:44


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