63夜 ふくれちまった哲学に


61夜は、思わぬところで「哲学」という固有の言葉に反応があって、驚いたり慌てたり。
どう返答したものか、言葉に慣れていない脳を使ったので、ちょっぴり眠れない夜だった。

「哲学」。
元来は個人的な楽しみであったはず、と教えてくれたひともいた。
わたしの連想する「哲学」は、遥かなところに浮かんでいる。

たとえば「知のたのしみ」と言い換える。
それは個々それぞれの楽しみ方だったんだ。するとすこしだけ力が抜ける。

たとえば「普遍を求める」と言い換える。
求める過程より得た結果こそ大切。すると置いてきぼりを食ったようで悲しい。

たとえば「物事の根源を知ろうとする理性の立場」と言い換える。
もう窮屈で逃げ出したい。すると楽しくなくて、身の置き所がない。

そもそも源には宗教や思想がからんでいただろう、「哲学」。
派生して政治・経済・科学・そして精神や心理にまで及ぶもの。・・大きすぎて、持て余す。

たとえば一家言ある人物と会話するのに骨が折れるのと同じように、
たとえば心の世界を旅する人に寄り添うのが居心地悪いのと同じように、
天邪鬼(あまのじゃく)で脆弱な脳では、黄色い信号が点滅する。・・避けて通りたいのだ。

「哲学」というものも、考えてみれば可哀相に。
いつしか、歴史に望まれ普遍になり、人々が描くイメージをたっぷり吸って膨らんでしまった。
可哀相な「哲学」は、今では実体を離れ幽体になって、あちらこちらにぷかぷか浮かぶ?
それともユーモラスで庶民的になって、時を越えて懐深く変容した?

61夜は、会話は相手に幻想を持たせることもある、というわたしの恐がりでおよび腰のつぶやき。
思わぬ「哲学」という言葉は藪を突いて出た蛇。

六三(ろくさん)という昔からの習わしがある。
年に一度、体の傷むところや悪さをするところを寺で払ってもらう、厄払い。

今夜は、「哲学」で痛んだ脳みそに、六三払いの63夜。
払ってしまえば幻想も蛇も、ただの無邪気な言葉の遊びだ。

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青い林檎は王林(おうりん)。良い香り。
香気とはこの林檎の香りを言うのではないかと思うほど。
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by NOONE-sei | 2005-10-20 19:34


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