99夜 姿かたち顔かたち


暦の上では立春も過ぎ、畑の野菜の植え付けも関東以南では始まったと聞く。
この地はまだ雪が降るけれども、溶けるのが徐々に早くなってきて、
土からはフキノトウや福寿草が芽を出し始めた。
一昨日は旧暦の正月だったそうで、それなら春が間近なことにもうなづける。

冬から春への変化には、大変な熱量が要る。
殊(こと)にこの地の春は、枯れ色から桃色へと気がふれたような変貌を遂げるので、
二月の峠を越えるのは、生物にとって一年で一番厳しい摂理なんじゃないかと思う。
不祝儀や別れの二月。父の二月、シワ コ の二月。

  月日が流れるのはたいそう大切なことで、
  とらえきれぬほどの大きな現実を 一旦、自分の胸に取り込んで咀嚼する時間をくれる。
  月日を数えるのはもっと大切なことで、
  亡くなったひとや死んでゆく動物や、失くしたものやこれから失くなるものを 
  ずっと、思い続けるよすがとなる。   (12夜 花の名 2011,05)

月日を数えるということには、後ろ向きで前へ進めない負が纏(まと)うイメージや、
内向的で思い出にすがる奇異な感じがあるかもしれないけれども、
正も負も清も濁も併せ呑んで飲み込んでみると、そこにはきっとより鮮やかに、
別れたものたちが立ち現われると思うのだ。




今夜は六つの100夜の、ひとつ手前。
99夜にはいつもそうしているように、死にまつわるおはなしをいくつか。
長い話になる。


                          *

ひとつ目のおはなし。
犬の名はソロー。それは「沈まない悲しみ」という意味。
「ホテル・ニューハンプシャー」(英米カナダ合作1984年)という、
ある家族を描いた物語に登場する大型犬。

犬を飼う家族にとってそうであるように、犬の存在は生活の中で当たり前にあるものだったから、
悲しみという名とは無縁に、犬は家族なりの愛し方でそれなりに可愛がられていた。
ソローは、歳とってから不運な死に方をした後、剥製にされる。
このソローの家族は、生命力に満ち満ちている。まあ、ただそれだけとも言えるほどに。
この家族はそれぞれ皆ろくなもんじゃなくて、ほんとうにろくなもんじゃないので、
強くたくましいとも言えるし、おろかだとも言えた。

家族にはいろいろな出来事があって、それらを端折(はしょ)ってしまえばつまりは不運つづきだったので、
起死回生心機一転、家族は全員で引っ越すことを決意する。
二手に分かれてアメリカからヨーロッパに引っ越すことにし、一組は飛行機に乗り剥製のソローも運ぶ。
けれども飛行機は不運にも海に墜落してしまい、その飛行機に乗った方の家族は死んでしまう。
その飛行機に乗らなかった残りのもう一組は、ろくな夢じゃないけれどもそれでも父の夢をかなえるべく、
新天地ウィーンでこの家族らしくたくましく生きていく。

ソローは剥製だから、きっとどこかの海をぷかぷかと漂っているんだろう。
「ソロー」とは、「悲しみ」と呼ばれるすべてを 一頭で肩代わりしたみたいに皮肉な名だけれども、
それでもソローは悲運じゃない。そして家族にとって不運と悲しみはイコールじゃない。
この家族に起こった不運な出来事はたっぷりあるのに、この家族の辞書には「悲しみ」がない。
悲しみの伴わない、むしろ希望に感じる前向きさが描かれているという、ジョン・アービング原作の映画。
「希望」と言ったってろくなもんじゃないのだけれども、それはそれだ。


                          *

ふたつ目のおはなし。
犬の名は太郎丸。それは小さな柴犬。家族はその犬が可愛くて可愛くて、
死んでもなお可愛いので、剥製にしようと思い立った。
この地では、鉄砲打ち(てっぽうぶち)が熊打ち猟や鹿打ち猟をする。だから探せば剥製師もいる。
探し出した剥製師に頼んで、太郎丸を生きていた時の姿にしてもらった。

してもらったはずなんだが、家に戻ってきた太郎丸はキツネの姿になっていた。
熊や鹿や狸やキツネなどの、野にいる獣を手がける剥製師は、家庭犬の風貌を再現できなかった。
犬が死んで悲しい家族は、キツネになった犬を見て、二度悲しかったはずなんだが、
これをわたしに話したひとは、当時はまだ幼くて、剥製になった太郎丸を見てもよくわからなかった。
家にいた太郎丸が、死んでちがうものになって帰ってきた、ただそれが不思議だったという。
大人になった今なら、悲しみという名もその在り処(ありか)も知っているのだけれども。


                         *


みっつ目は、鰐号がわに丸だった頃に名前を付けた犬のおはなし。
犬の名はシワ コ 。
シワ コ は意識を失くす時にひと声吼えた。
最期の様を聞いたら獣医がそう教えてくれた。
王様とわたしはシワ コ が死んでほんの数分後に、長靴のまま病院に着いた。
その晩は大嵐で、雪かきに自宅に戻ったその間だった。

シワ コ はペロ コ に貰った血を輸血しながら、目には力があり、しっかり餌を食い、
意識を失くしたのはいよいよ逝くほんのすこし前だったという。
獣医は送管し、気道を確保し、わたしたちの到着まで保たせる努力をしてくれた。
治療台のシワ コ の姿を見ればそれはすぐにわかった。
王様とわたしの代わりに、シワ コ の目も息を引き取る喘ぎも痙攣も、獣医が見届けてくれた。
どう手を施したかを静かにつぶさに説明する彼をさえぎって、王様が
「先生、もういい、もういいよ、ほんとによくやってくれた。ありがとう。」そう言って彼の手を握った。
獣医はぽろぽろと涙をこぼした。そしてそのことに自分で驚いて、
「(病院をやっている以上)これは避けられないことなので、冷静に臨む経験は積んでいるのに、、」
あとは言葉が出てこず、わたしたち三人は一時(いっとき)静かな時間を過ごした。
シワ コ はその獣医のもとで幾度も奇跡のような生還をした。
「生きた心地」という言葉をくれたのは彼だ。
シワ コ に生きた心地を与え続けた年月は長い。シワ コ はまもなく十五歳だった。

動物の亡骸(なきがら)は目を開けている。
目をつぶっていたらよいのだけれど、現実はそうではない。
生きていれば目は口ほどに物を言うけれども、死んだら目をつぶらせなくちゃいけない。
目が語らなくなると、表情のニュアンスというものは頬に出る。
人ならばエンジェルメイクを施して、口元や頬のふくらみに面影を残す。
だから一緒にシワ コ の体を綺麗にしている時に、獣医に頬の内側の含み綿を頼んだ。 
シワ コ の舌を口の中にしまいながら、犬に含み綿をするのは初めてだと彼は言った。

すっかり綺麗になったシワ コは、大きなタオルでくるんで連れ帰った。
一体どこの雪をかいたかもわからないほど雪は積もっていた。
降り続ける大雪の中、王様がシワ コ を前抱っこで抱えて駐車場から家までの雪道を歩くと、
シワ コ はぐんにゃりと力が抜けていて、担いでもまたずり落ちる。
思わずわたしは「シワ コ!しっかりしろっ!」と言った。

鰐号はシワ コ が死んだ知らせを聞いて、翌朝一番の新幹線で帰ってきた。
うとうとしては目が覚めて叫ぶように泣き、またうとうとする、その晩の繰り返しは、
じいちゃんが死んだ晩と同じだったと言った。
じいじの時に鰐号がそんな泣き方をしていたことを初めて知った。

イギリスのことわざにこんな言葉があるという。

  子供が生まれたら犬を飼いなさい
  子供が赤ん坊の時、子供の良き守り手となり
  子供が幼年期の時、子供の良き遊び相手となり
  子供が少年期の時、子供の良き理解者となり
  そして子供が青年になった時、
  自らの死をもって子供に命の尊さを教えてくれる

鰐号がまだわに丸だった頃、ちいさいわに丸は動物が怖くて触(さわ)れなかった。
動物使いのようだったじいじだから、家にはいつも生き物がいた。
そんな家の子が動物に触れないなんてあり得ない。
そうして飼ったシワ コ はわに丸の練習台になるはずだった。
ところが子どもは動物と人間の境目があわい。
子ども自身がまだ人間以下の存在だから、どの種に属しているのかわからないんだろう。
わに丸はシワ コ に毎朝欠かさず朝餌をやり、メスなのに時にシワオと呼んで弟のように接した。
二頭は一緒に育ったはずだったが、犬は成長が早いからすぐに追い抜かれて、
わに丸はシワ コ に守られるほうの側になった。
夏休みは庭にテントを張って、わに丸とシワ コ は毎晩毎晩一緒に寝た。
シワ コ は、寝る時はわに丸の足元で丸くなり、朝そっとテントの中を覗くと
わに丸の枕元でわに丸を抱えるように寝ている。
一応の兄貴分に、寝る前は花を持たせ、寝てからは本来の立場に戻っていたんだろう。

わに丸とシワ コ の写真がある。
長距離徒歩の遠足から帰り、へとへとの小学生のわに丸を見上げて吠え立てる子犬のシワ コ 。
成犬になって、目を細めてわに丸を見つめるシワ コ 。
わに丸は年頃になると、他聞にもれず写真に写ることを嫌がるようになった。
だが犬となら別で、しかもアニバーサリーには犬と並ぶものと思っているらしく、
親子での写真はそうそうないが、わに丸の入学式や卒業式の写真はみなシワ コ と並んで写っている。
歳とったシワ コ は眠る時間が多くなった。するとわに丸もひっくり返って昼寝をするので、
頭をくっつけて眠る二頭をそっと撮った写真がある。
思えば、いつも一緒だった二頭、けれど大学の卒業式にシワ コ は間に合わなかった。
シワ コ の代わりはペロ コ が務めた。
びしっと座って鰐号を見上げるペロ コ 。ただしそれは一枚だけ。
あとは鰐号の側(そば)でごきげんな、あどけない顔だ。

死後硬直で目が閉じなくなることのないよう、一晩、頭部から目にリボンをかけておいたので、
翌朝のシワ コ は、まるでよそゆき顔で眠っているようだった。
家に着いた鰐号は、シワ コ を横たえてある部屋でしばらくシワ コ と二頭というか、ふたりきりでいた。
部屋から出ると「死んだら魂が抜けるのかな、触ると硬い。」と言った。
姿かたち顔かたちは同じでも、もうそこには「生」がない。

翌日は王様と鰐号が焼き場に運ぶため、大きな箱に入れたシワ コ に花を振り入れた。
「おばあちゃん、シワが死んだからね、お別れだよ。」母にも会わせたら、
母は「シワちゃんさよなら。また会いましょう。」と言った。
母にもシワ コ がこの世にもういないことがわかったようだった。

わたしはこれまで、動物とは焼き場で永の別れをしてきた。
鰐号にも、形見をとっておくようなことを見せたことはない。
けれども鰐号は以前、じいじの猫だったアク コ と別れる際にひとつまみ体毛を切り、
それをじいじの松の木の根元に埋めた。
焼き場では市の職員にシワ コ の頭頂部の骨をひと欠け頼んできたという。
わたしは内心、鰐号はその骨をいつまで持ち続けるつもりだろうと気がかりだった。

それから数ヶ月が経った春のある日、
鰐号は帰省すると壷から小さな骨を取り出し、アク コ の毛も埋めてあるじいじの松の根元に埋めた。
気が済んだのか、それは淡々としたものだった。
次に夏に帰省した時には、ペロ コ に五歳の誕生ケーキをくれた。
それは動物用なので、材料はとびきり良いのだが人の味覚には全く相応しくなく、非常に不味かった。
「シワ コ のために、できることは全てやったでしょ?」と鰐号は言って、
別れを胸に収めて東京に戻ったようだったけれども、
十五歳の誕生日を迎えられなかったシワ コ への思いがあったのだろうか。

そう、わたしたち家族は十分にやった。そう言えるのかもしれない。
でもまだ、それ以上、十二分にしてやれたとも思っている。
十分では充分には満たなくて、わたしの中では十二分が充分なのかもしれない。


                          *


あれから丸二年も経って、いまごろ書くのも申し訳ないんだが、
「王様の千と線」に登場するシワ コ を愛してくださった皆さま、ほんとうにありがとう。
案じてくれて手を貸してくれて思いをかけて一緒に歩いてくれて、ほんとうにありがとう。
やっと、振り返れた。


参考:悲しみの五段階 
エリザベス・キューブラー・ロス
『死ぬ瞬間』の著者として知られる精神科医
死の受容のプロセスと呼ばれているキューブラー・ロスモデルの提唱者




□懐かしい写真
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シワ コ 6歳



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シワ コ 11歳



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シワ コ 8歳



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シワ コ 11歳                                              photo by tsure



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by NOONE-sei | 2015-02-21 23:59


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