13夜 おんな三代十三参り


神社で巫女のバイトをしたことがある。
式場で三々九度のお神酒(おみき)を注(つ)いだときには、
一般に新婦は盃にかたちだけ唇を当てることが多いけれども、まれにちゃんと飲む嫁さんもいて、
巫女さんたるもの、表情こそ変えないが内心は愉(たの)しかった。
だからというわけでもないが、自分のときは三盃全部頂いた。

人間の節目には、かたちで表すことが何度かある。
七五三、女の子は三歳七歳、男の子は五歳で。
そのあと女性は十九、三十三、男性は二十五、四十二に厄年を迎えるのだったか?
あとは男女とも還暦とか喜寿とか、、?
お祝い事と厄払いは表裏をなすものらしく、寺で拝んで貰ったり神社で払って貰ったりする。

男の子は、女の子に比べると生まれてからが弱くて育ちにくい。
死ぬことも多いから、女の子よりも多く生まれるというのは、自然界の不思議だ。
五歳まで生きられたら上々、感謝と次の節目まで生きられるよう神仏に願うこともまた自然なことなのだろう。

節目とは成長の節目。長じては肉体の節目。
その節目を越えるか越えないか、それは自然界との折り合いだ。
季節の変わり目に、よく年寄りの不祝儀の花環を目にするけれど、
そういうものを見るにつけ、気候や気圧の変化というものは、耐えて越えるものなのだということを感じる。

ところで十三参りといって、十三になると虚空蔵様へお参りに行くならわしがある。
男の子なら昔は元服、男女とも成人か。
わたしの育った山あいでは、女の子が詣でたように思う。
これは関西、特に京都のならわしと聞くが、こんな辺鄙(へんぴ)な処に同じならわしがあるのは、不思議だ。

先日、母が親戚にもらったという、母方の祖母の写真を見た。
自分の親の年を越えて生きるのはひとつの節目だというが、母はとうに祖母の年を越えている。
しかし写真の祖母は老いて見えた。わたしが五歳のときに亡くなった、そのときの死の顔がおぼろげな記憶だ。
 祖母は、旅館に生まれてお嬢さんとして育ったけれど、女は跡をとらないから分家に出して、
いい婿をと探して娶(めあ)わせたはずの祖父は体が弱かった。
母は苦労している祖母の姿しか知らない。
ときどき、坐るちいさい祖母の後ろに立って、乱れた髷(まげ)を結い直してやったという。

祖母の十三参りは、きれいにおめかしをして虚空蔵様へ行った。
母の十三参りは、臥せがちな祖父に代わって祖母が貧しい身なりで連れて行った。
今と違い、交通の便がない。いちにちしごとどころか、二日かかる。詣でた晩は、寺にお籠(こ)もりをした。
 わたしの十三参りがどうだったのか、・・記憶がない。今住んでいる所からなら車で15分の距離だ。

母は自分のときもわたしのときも、虚空蔵様の眼下に流れる阿武隈川を見たという。
硬い岩盤が瓦のように重なり、流れは緩く深い水は濃い青。
母は、ここがこの地でいちばん阿武隈川が綺麗に見える場所だといい、
それは祖母から教わったのだという。
[PR]
by NOONE-sei | 2005-06-06 11:35


<< 14夜 行儀作法 12夜 嫌われもの >>