今年は、展覧会で「ヘ調の譜」という作品を発表した。 わたしが軸になっていた絵の会は、最後の展覧会となった。 以下は目録に掲載した挨拶文である。 『 ~いま立っている場所~ 何年も絵を描くうちに、 「絵」は難解で苦しいものになりました。 観念も精神性も表現技術も、 描くその手から宿るということを忘れて、 頭で描こうとして傷ついていました。 「絵」は素朴なおこないだったこと、いま、立っているべき場所を ようやく思い出しました。 「良い絵を描きなさい。 じょうずに伝えようと思わずに。 達者な絵になろうと急がないで。」 今は亡き絵の恩師達が、いつも語りかけていてくれた、 宝物の言葉がありました。 この展覧会は、 おずおずと、たどたどしく、こどものように。 わたしたちの、いまの、ありのままです。 』 展覧会は劇的空間でありたい。そう願って、不定期に五回の展覧会を開催してきた。 絵画畑の出身でないわたしは、展覧会場を劇場と捉え、入り口は劇場へのいざない であり、展覧会は公演と等質の、ひそやかな仕掛けで客を招きいれるものだった。 どの展覧会でも、巧拙とはちがうところで、わたしは旅がしたかった。 集団の「いま立っている場所」に不協和音が生まれる、、、そんなことは、 どの表現のどの集団にも起こり得ることだ。 ひとの心を束ね、意識にタッチしてゆくことの不毛さよりも、 「今立っている場所」とは「これからの場所」でもある。そう考えればいいと思った。 旅の原点に立ち戻り、それぞれの「これからの場所」に発つ。そういうことだ。 十年以上にわたるひとのつながりは、会の解散で一応の区切りとなった。 さて、晦日のお題。 音楽の音階にはそれぞれ性質があるのだとか。 たとえば「ピアノコンチェルト△△ in F」 Fとはへ長調のこと。 ヘ長調の音階で作った曲は、平和・前向きを、 ハ長調ではナチュラルなものを、 変ホ長調では神さまの世界を、 それぞれ聴く者にイメージを喚起させるという。 ではわたしは、天から花びらが降ってくるような、「天上の音楽」をさがそう。
by NOONE-sei
| 2004-12-31 14:27
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