50夜 最高のしあわせ


わたしにはいろんな顔があって、
或る時は「十分の女」。『じゅうぶん』じゃない、『じゅっぷん』。
わたしの携帯電話は、相手が固定電話であれ携帯電話であれ国内のどこであれ、
十分未満なら通話が無料なので、
携帯を持たされるようになってから必要に迫られての通話が多い中、
遠くに住む女ともだちと、たまには自分のために夜の長電話をしたい時もあって、
そんな時、十分ぎりぎりでかけ直す、を数セット繰り返させてもらう。
女ともだち達は、初めはきっとぎょっとするんだろうけれど、
そして会話が一度途切れることに多少違和感を持つのだろうけれど、
それでも徐々に慣れてよくつきあってくれる。
その寛容に感謝しつつ、「わたしを十分の女と呼んでください。」などど言ってみる。
きっと彼女達にとっての女ともだちとしては、わたしは不十分だろうと思う。
・・これは『じゅっぷん未満』じゃなくて、『ふじゅうぶん』、という読みだ。
わたしにとって女ともだちがいてくれることは、最高にしあわせ。

わたしの母にもいろんな顔がある。
或る時、「娘さんと一緒に出かけてお昼ごはんなんて、しあわせねぇ。」
いつもの慣れた店で、ごはんを食べに来ていた年配の女性に
そう話しかけられた母は、「そうでも思わなくちゃねぇ。」と答えた。
そんな癖のある答え方は、昔からの習い性どおりの顔が反応しただけで、
忘れてしまうから現在の母に他意はない。
聞くと、話しかけた年配の女性は桜島の見える所から嫁に来て、
数年母と会っていなくてさみしいのだという。
物理的な距離が離れていてさみしいのと、物理的にすぐそばにいてもさみしいのと、
さみしさにもまたいろんな顔がある。

店を出た後で、母にさっきの女性の「しあわせねぇ」の背景を説明したら、
「わたしはそんなに遠くまで会いに行くエネルギーはないねぇ。」
つまり、母は遠くで待つ彼女の母にではなく、
話しかけた女性の側に、つまり子の側に、もしも自分だったらと自分を重ねたのだ。
年取ったり若返ったりする母には細やかな手助けがより必要になってきた。
クオリティ・オブ・ライフという言葉があるのだけれども、
母のクオリティを維持するために、母の行動に多くの観察と多岐の予測が要る。

母は、自分の近親者以外にはなかなか心を開かないので、
母の妹でも姪でもないわたしは、母にとっていろんな顔を持つ。
或る時は立ち寄り風呂で背中を流しながら幼馴染みになったり、
或る時は夕げの仕度の最中に「セイは(どこ)?」と訊ねられるセイになったり。
もう、そういうことには驚いたりがっかりしたりしないようにしている。
母にしあわせでいてもらいたいと気持ちを定めたので、
ごはんを食べに出かけたり買い物に行ったり毎日一緒に遊ぼうと思っている。
ただ、母には最高のしあわせをあげることができない。
母にとっての最高は、父と一緒に山に登ったりドライブすることだからだ。
父になることはできないし、代わりにもなれない。

或る時ではなく時々、母はわたしを「おとうさん」と呼ぶことがある。
さすがに蓋をしたはずの気持ちがぐらりとする。
・・それはいろんな顔のあるわたしの中の、十分未満だろうか。
母にとってわたしがいることは、『じゅうぶん未満』と読むしあわせだろうか。




今夜のお写真は、花や鳥を。



□山のふもとの公園
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西洋シャクナゲ、真っ赤。


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西洋シャクナゲが群生している。


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燃えるようなツツジ。


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タチツボスミレ。 調べてみたらシソ科カキドオシ(垣通)なのかも。葉が円形。


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タチツボスミレ、こんな風に緑の中に青い点々。


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小さな川が流れている。


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警戒してしきりに鳴くこの鳥はなに?


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筆リンドウという。子どものこぶしくらいの大きさ、小さく可憐な花。




□もうひとつのしあわせ
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贔屓にしている洋食屋の主がしきりに娘ちゃんの愚痴をこぼすと思ったら、ちかじか結婚するのだって。
花嫁の父のために作って店に置いてもらった花かご。お嫁さんにはスズラン。花言葉は純潔。







よく宇宙人を真似て「われわれは・・」って変な声を出して遊ばないか?

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テン コ に宇宙人ごっこをしたら、こんな顔に。


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テン コ 、最高のしあわせ。(お写真は携帯で)


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たぶん最高にしあわせ。
最高のしあわせと、最高にしあわせ、というのはちょと違いがあるかしら?
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by NOONE-sei | 2012-05-29 01:30 | Comments(17)
Commented by ろここ at 2012-05-29 23:30 x
セイちゃんが「十分の女」のおかげで、私は長電話が出来て幸せです(笑)
でも毎回「本当に無料なの?本当に通話料かかってない?」と心配になります。。

テン コ は宇宙人顔だね~。ぷぷ
ペロ コ の上に乗せたテン コのお手々が可愛いわぁ~♪
みんなで寝て幸せそうでいいなぁ~。その中に埋もれたい。
Commented by NOONE-sei at 2012-05-30 11:25
ろここちゃん、
「十分の女」ですこんにちは(笑)
きっちり10分未満なら、月500回まで無料ですって。
契約書をあらためて見直しちゃったですよ。
すごいね。せっせとタイマーをかけなくちゃだよね、はは

火星猫テン コ の手は「香箱」になっているですね。
一番最後のお写真のペロ コ の顔に傷があるんです。テン コ がひっかいたの。
獣たちが寝てるところに「混~ぜ~て~」って言いたいよね?
で、よっぱになるとぐいぐいっと割り込んで寝ちゃうよ~
Commented by ゆきうさぎ at 2012-05-30 23:47 x
こんにちは。二度目の投稿です。

>物理的な距離が離れていてさみしいのと、物理的にすぐそばにいてもさみしいのと、

・・・どちらがどう、とは、いえないのでしょうね・・・。
お母さまとのこと、それでいいのではないでしょうか。
あるがまま。なすがまま・・・。

人にはいろいろな顔があって、それぞれが真実なのだと思います。
そのいろいろな顔を、場面や相手によって使い分けて、
人間関係が潤滑に成り立っているのだと思います。
わたしはずっと昔、この使い分け方をやりすぎて、失敗しました・・・(^^;)

ところで・・・。
タチツボスミレではなく、ムラサキサギゴケかと・・・。

すみません、余計なことでした・・・。

綺麗なお写真ですね・・・。
Commented by NOONE-sei at 2012-05-31 00:50
ゆきうさぎさん、
お久しぶりです、おばんです♪
ひそかに案じていてくださるゆきうさぎさんに、謝謝。

離れていると、なんだか綺麗に純化されていくさみしさのように感じるのですよねぇ。
かたや、そばにいてさみしいのは、さみしさが際立たないというか、
微妙にいろいろないまぜになるというか、、ね。
どちらもさみしいにはちがいない。

ゆきうさぎさんの失敗って、使い分けているという自覚があったからなのですね?
きっと、状況に対する嗅覚が鋭いからじゃないかなぁ。
わたしはぼーっとした所があって、求めに応じたらいろんな顔だった、って感じです。
でも、それって、しかたないしかたない。
許し許されて、大目にみて大目にみてもらって。ね。

青い小さな花!
ご指摘ありがとうです。おかげで調べるいい機会になりました。
結果はですねー、カキドオシではないかということになりましたー。
http://www.plantsindex.com/plantsindex/demo_html/demo_db/result48420.htm
比較画像はこちら↓
http://www.plantsindex.com/plantsindex/html/group/gp_mazus.htm

調べるのはとても楽しかったです♪
Commented by ひす! at 2012-06-02 18:14 x
こんにちは。
母と娘、どちらの立場に自分を当てはめるか。
確かにそういうので、その人の考え方とかが分かりそうなきがしますね。
でもそういうのは、おそらく心が大人や子供になったからとかではなく、
持って生まれたもので、一生そのようにあり続けるものではないでしょうか?
小さな子でも、母親に置き換える子もいるから。

テンちゃん素敵過ぎますね~♪
思わずうちのクロお君にもしてみようかと…

さて、「最高の」と「最高に」。
前者は「最高な状態の幸せ」で、後者は「幸せが最高になった状態」で後者の方が、気持ちがグングン上り詰めていく気がします。
でもそんなことよりも、
「最高の幸せ」に浸るこの子達を見つめるセイさんが、
「最高に幸せ」なんじゃないかなと思ったりしております。
Commented by ハクママ at 2012-06-03 02:31 x
私は、母に尽くしたという記憶がないなあ(笑)
母自身ものすごく自立している人だったし、
どっちも親子関係にドライだったからねえ。
もし尽くしたとしたら、
娘という存在がいるという事実だけかな。
これは離れてたからということもあるね、きっと。

一緒に暮らしていると、
母という存在とどう付き合うか、
いつも突きつけられるよね。
もし、私だったらきついな、と思った。
きっと扉をパタンと閉めてしまう時間をとると思う。
あんたはあんた、私は私、ってね。
人間は所詮ひとり。幸せは自分でつくらなくっちゃ。

で、しわぺろてんに抱きついて癒してもらうよ。
お三方のなんて素敵なこと!
これみていると、種って関係ないんだ、って思っちゃう。



Commented by ハクママ at 2012-06-03 02:34 x
追伸です。

ゾーイの腫瘍は組織球に由来する悪性腫瘍でした。
手術で脾臓は摘出して、肝臓や肺にはまだ転移は
認められませんでしたが、
この腫瘍の場合、4カ月後の生存率は50%だそうです。

結果を聞いたときはどーんと落ち込んでましたが、
ゾーイがね、「ねえ、あたし、まだ元気で生きてるんですけど…」
って尻尾をパタパタさせるのをみて、
あ、そうか、まだ元気なのに今から落ち込んでてどうする!
ってハッとしました。

だから今は心配ないです。
ゾーイもおおむね元気。
やれるだけのことをやって、笑ってすごす!
ゾーイは強い仔だから頑張ってくれると思います。

セイさん、またまた祈っといておくれ!
Commented by ゆきうさぎ at 2012-06-03 22:08 x
こんにちは。

あらら・・・。
カキドオシ、っていうのですね。
失礼いたしました。(^^;)
そういえば、葉っぱや背丈?が、ちがいますねぇ。
ムラサキサギゴケって、もっと地べたに近い小花でした。
ひとつ、おりこうになりました。

使い分け・・・、
自覚といいいますか、わたしはそれが当たり前と思っていたので、
それを必要としない人もいるのだな、と・・・。
あるいは、必要としてないと感じたのはわたしの思い上がりで、
相手の使い分け方に気付いてなかったのかもしれないし、
まぁ、むかしの話です・・・。

今はそれなりに年齢を重ね、わたしの使い分けにも磨きがかかりました(笑)。
こころをすり減らしてまで使い分けないで暮らす心地よさを取り戻してます。
いえ、手に入れた、と言うべきか・・・。

ところで・・・、
>ハクママさん
わたしも、祈ってます。




Commented by ハクママ at 2012-06-04 16:06 x
ゆきうさぎさん、ありがとうございます。うるうる
Commented by NOONE-sei at 2012-06-05 16:49
ひすさん、
>持って生まれたもの
あぁ!そうそう、「備わっている」という言葉がありましたね!
理路整然と自分の中で筋が通っていて書いたお話じゃないので
(って、いつもわからないから文章に書くのですけれど)
ひすさんが書いてくれたことで腑に落ちたこと、ありましたありました。
最高の、と、最高に、  幸せの状態はどうちがうのかな、って
これも素朴な疑問だったんです。
たしかにはっきりと使い分けができるのに、じゃぁその違いがわかっているかというと、
なんとも心もとなかったのですよ。
これも、ひすさんが書いてくれたのを読んで、あぁぁ~と思いました。
わたしの幸せな時間も再確認、気がつかなかったよ!
いつもありがとです♪

くろにゃんには、火星人ごっこしたらスネられちゃうのでは??
Commented by NOONE-sei at 2012-06-06 01:41
ハクママ、
ハクママのお母上には、お会いしたこともないのに勝手なイメージがあるんです。
お母上はきっと最後までお母上らしくきりりとなさっていたのではないかな。
ちゃんと、ひとりでいられるお母上のままだったのではないかな。
うちは、もはやわたしは娘ではなく保護者の領域になりましてね。
一緒に暮らしていると、母の状態が変化するのにつれて
関係も、幾度かターニングポイントを迎えるものかもしれません。
まだ会話が成り立つことも多いので、これができるだけ長く
続くように願っておるのです。
幸いなことにお医者には、わたし、はげまされ、ほめてもらっているんだよー。
Commented by NOONE-sei at 2012-06-06 01:49
ハクママの追伸に・・・

そうか、そうだったか。
獣はね、昨日でも明日でもなく、今日を生きるんです。
その今日がひとつひとつ積まれて、それを明日と見るのは
いわば人間の勝手な思い入れであって、
わたしたちはゾーイの本日現在この時を元気につきあってやればいいんです。
えらそーなことを言ってごめん。
わたしはそういうつもりでゾーイを見つめてゆこうと思って
こころから祈っておるです、祈っておるです。
Commented by NOONE-sei at 2012-06-06 02:27
ゆきうさぎさん、
またへんな名前を書いたら教えてくださいねー。

わたしは100夜の夜話を綴っておりましてね、
この50夜は青息吐息の折り返しでした。
幸せというものを考えてみたくて、
それに顔とか十分というおまけも乗っけて書いてみました。
幸せというと大袈裟ですけど、ひとは快適に暮らさなくちゃです。
快適は、日常の平凡な繰り返しの上に成り立っています。
この3.11で日常が当たり前じゃないと知って、
丁寧にこの地(福の島)で暮らしてゆこうと決めました。
避難したひとたちも大勢いて、まさか、自分が当たり前に暮らす場所を
離れる離れないの選択をするとは思いもよりませんでした。
まわりくどくてごめんなさい。
ゆきうさぎさんも、その都度の選択をされて心地いい現在があるのでしたら、
それは幸いなことでしたね。

ハクママに祈ってくだすってありがとうです♪
Commented by ゆきうさぎ at 2012-06-14 01:00 x
わたしも福島県民です。

>幸せというと大袈裟ですけど、ひとは快適に暮らさなくちゃです。
>快適は、日常の平凡な繰り返しの上に成り立っています。

おっしゃる通りですね。
3.11以降、「何でもない日常の営み」はもう、戻ってこないのだな…、
というやるせない思いで過ごしてきました。

母方の親戚も、父方の実家も、被災して避難しています。
高齢の伯父・伯母は、避難して数ヶ月で亡くなりました。
年老いた母親と今は同居しています。

まわりの子ども達も、この地で元気にたくましく生活しています。
起こるかどうかわからない放射能のリスクに怯えて暮らすよりも、
毎日の小さなできごとにも、楽しみを見つけて、しあわせを感じて暮らすこと、
その方が、ずっと心もからだも、健康なんじゃないかな、そう信じています。
桃もリンゴも、今年も、ばくばく食べます!

いつか、わたしの母親も、セイさんのお母さまと同じようになっていくのかもしれない、
でも、今を精一杯生きること、それだけを考えています。

どこに住もうが、気持ちひとつで、当たり前の暮らしはできるのだな、と・・・。

これからもブログ楽しみにしています。





Commented by NOONE-sei at 2012-06-14 02:09
ゆきうさぎさん、
んまっ、こんな時間(笑)

ここにおいでになる方で東北の方はほんとにおめずらしい。
いろいろありましたよね。
どれひとつどなたのご経験も同じものがないように、
感じ方や捉え方にも同じものがないのが、311だったように思います。
リンゴと桃ね、わたしはあんまり果物好きでもないので
ばくばくとまではいかないですけど、
ごく親しい、理解してくださる方には送るつもりでおりますよ。

それにしてもねぇ・・・
こんな夜中に明日訪問してくれるヘルパーさんの
お料理の下ごしらえをしているのもどうかと思っちゃいました(笑)
Commented by ゆきうさぎ at 2012-06-15 01:04 x
あらら、セイさんこそ、
>んまっ、こんな時間(笑)

夜中のコメントに早速返信をつけていただき、すみませんでした。

ほんとうに、いろいろありましたね。
そしてこれからも、ここで生きていくのには、
いろんなことがあるのだな、と思っています。

あの日から・・・、
見なくてもよかったことが見えたり、
知らないままでいればしあわせだったことを、
知ってしまったり、
その逆もあったり、
あんなことがなければ、そこそこ、なぁなぁでやり過ごせていただろうに、
いらぬ対立をもたらしてしまった人たちを目の当たりにしたり、
なくしてしまった「ふつうのくらし」を懐かしんでは、
ため息の日々でしたかね・・・。

たまたま、こちらのブログを拝見して、
なんていうのかな・・・、
深い森で深呼吸ができたような気持ちになりました。

>こんな夜中に明日訪問してくれるヘルパーさんの
>お料理の下ごしらえをしている・・・・

ついでに、美味しそうな匂いも吸いましたぁ!(^^)

どうぞ、夜更かしはそこそこに、お疲れになりませんように・・・。




Commented by NOONE-sei at 2012-06-17 09:47
ゆきうさぎさん、
「王様の千と線」が、わずかでもお役にたてたならよかったです。
また、ゆるゆるとしたおつきあいを どぞよろしくです。
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