2夜 ブレーメンの動物園


2夜は、にゃぁ、ということで。

朝、「傷んだ林檎はないか。」と父が言った。
冬からずっと食べていた林檎が、いよいよ、さすがに底を尽いた。
春になると味も食感も落ちるのだが、それでも林檎は欠かせなかった。
「トリコにやらなきゃならない。待ってるからなぁ。」
 庭には、父が鳥のためにこしらえた餌台がある。
どこから見ているのか、台に載せるとほどなく鳥はやってきて林檎を啄(つい)ばむ。
大抵は鶫(つぐみ)で、美しい鳥とはわたしは思わないのだが。

父は小さきものに、「コ」を付けて呼ぶ。ちいさな発音、文字表記するなら半角程度の「 コ」。
だから小鳥はトリ コ だ。おなじように、子はコッ コ 、男の子はヤロ コ 。
おかげでわたしには、名前のほうにまで「コ」を付ける習い性ができた。ニュアンスでいうなら「・・ちゃん」。

うちには、雑種も混ざりに混ざるとこんな地模様になるかと思う、野良で生まれた灰色の猫が居る。
名はアク。悪女の悪ではなく灰汁の灰(アク)だ。父と母の猫。
それにわたしは 「 コ」を付ける。・・アク コ。「 コ」を付けようが付けまいが、もとよりおかしな名。
いつも父猫と母猫の影で生きている。もう成猫なのに。
そして性格も器量も悪い。どれほどかはまた別の折に、、。

うちの本命は、眼が不自由になって、散歩は盲導犬ならぬ、人間が盲導人をやっている犬。
名はシワ。シュワルツェネッガーのシュワじゃない。皺のしわだ。
王様とわたしとわに丸の犬だったが、病気をしてからは、母に、以前父が飼っていた名犬と
器量を比べられることがなくなり、我が家の市民権を得た。
大型犬は仔犬のときに皮がたるんでいる。それを見てわに丸が名を付けた。やっぱりおかしな名。

思えば我が家に縁あった動物達は皆、おかしな名だった。
もとをただせば、父は犬の繁殖家だったので、産まれた純血種の犬はそれぞれ譲った先で名を貰うから、
名を付けてやりたくてもそうはできなかった。
色や見た目で記号のように名を付けざるを得ない、それがすこし悲しくてわたしは 「 コ」を付けた。

しわ コ 。わたしはその名が気に入っている。
そして野生の生きる力を見せつけてくれたこの数ヶ月、犬ながら天晴れ(あっぱれ)だったと思う。
 だれも思わないだろうが、「しわ」は「志麻」を連想する。岩下志麻、である。
眼や左半身に不自由はあっても、尻尾を高く上げて歩くしわ コ は極妻シリーズの岩下志麻姐さんだ。
そして優しさがある。
 夫君篠田正浩監督は、妻に映画に出演してもらうときには、「いつもの貴女のままで」と言うという。
あの志麻姐さんは家族の中にあっては、はたから見えるものとは違うものがあるらしい。

先日、そろそろ人に馴らす練習をするために、しわ コ を公園に連れて行った。
子供はしわ コ に少し距離をとって「オス?」と訊ねるのが常だ。
動物同士の野生は、人間にもちいさな子供にはまだ備わっている。
しわ コ には、目に強い力があった。
目つきが悪い訳ではなく、その目の強さゆえに、あっという間に動物同士の位置関係は決まる。
人間の子はそれを肌で感じて「オス?」と表したのだ。
 それが最近はちがってきている。
目が柔和に見え、天然が入ったようなのだ。わたしは愛嬌に変わったそれを「おたふく」と呼んでいる。
子供は、しわ コ を躊躇なく撫で、頬ずりする子までいて驚いた。
すこしおたふくになって、しわ コ は新しい犬になったんだろう。

幸せはさまざま。時は変化し、ありのままと思っていたものは新しくぬりかえられる。
ブレーメンの音楽隊も未来になにがあるかはわからなかった。

餌台に林檎のなくなったトリ コ も、臆病なアク コ も目の不自由なしわ コ も、
コ は付けないが不器用なわに丸も、
おかしな名を持つ動物園の住人たち、ただ懸命に生きてくれ。
長寿を全うした、婆犬なのに赤 コ も、その子供の黒 コ も、
心臓を患っても生き延びた、犬なのに熊 コ もそうであったように。
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by NOONE-sei | 2005-05-05 23:05 | 新百夜話 父のお話(4)


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