19夜 なくしたもの


長いこと飼っていた動物をなくした方がいて、
悲しみは悲しみとしてそのまま自分のものとして抱えていかねばならない、
朝、ご飯をねだる鳴き声の聞こえない寂しさ、悲しさも、
ずっと忘れずにゆくのだと言った。
わたしは、「なくす」とは亡くすなのか失くすなのかと考える。

世には時間の経過や日々の暮らしの積み重ねが忘れさせてくれるということがあるけれど、
わたしは業が深いのか、「時間も薬」と言いながらちっとも忘れようとしない自分を知っている。
折り合いだとか受け入れるだとか傷はいつしか癒えるだとか、
そんな触りのいい言葉群を日頃は意識して使っているくせに、
裏腹に記憶を絶対に手放さない自分も知っている。

悲しみが喜びに変わるなぞという経験をしたことはないし、
悲しみの波長が伸びたり縮んだりはしない。
「忘れる」ということは神とやらが子らに与えた愚かな救いの知恵だけれども、
ちかごろ、神なぞ信じないので忘れるために祈ることもなくなった。
「なくなる」とは無くなるなのか失くなるなのか。
壊れたものも死んだものも、替えのきかないものたちは総(すべ)てそれぞれの波長を持つ。

病の動物と死んだ動物と置き去りにされて殺された動物のためには祈ろう。
天に? ・・いや、天の者は今、欠伸(あくび)をしている。だから福の島の名物、虹に。


◆本日の百ケ日連打
梅雨の晴れ間には虹が。
虹は波長の色。
本日見たのは長い長いもの。
長いものと虹は、どうしてこうも漢字が似ている?


c0002408_2232641.jpg
梅雨の数日だけ開かれたカフェ。名を NIJI cafe という。


c0002408_2261125.jpg
遠くの島からわが家にやってきた果物。
美しい名を 美生柑(みしょうかん)という。
[PR]
by noone-sei | 2011-06-29 01:22


<< 20夜 復興の街 18夜 いつともなしに >>