30夜 ふたつの14歳


人間が成長するのには、幾つかの関所がある。

少年犯罪でひところ報道された、14歳は大きな関所だ。
先天的な統合失調症が発現するのに、この年齢は精神医学の世界では
ひとつの目安になっているともいう。

わに丸たち生徒の間で、「スジをとおせ。」が口癖の、職を選び間違えたのではないか
と噂されていた老練の教師が、こんな話をした。
「14歳、中学二年生。これが、醜い。
人間の一生のうちで、一番醜くなるんじゃないですか。」
 子供でもなく大人でもないこの年頃を「コドナ」と言って笑わせてくれた人もいた。

脱皮、変身、思春期、、、言い方は幾らでもある。
醜い、わたしはそのとおりだと思う。14歳のわに丸もまた、醜かった。
体中のホルモンが沸き立ち、逆流して変動値が振り切れているのではないかと思う
ような変身ぶりだった。
 学校では自転車が蹴り倒され、鞄にナイフを忍ばせる生徒もいたし、花火のロケット弾を
持ち歩く生徒もいたし、包丁を持っている生徒までいた。
誰かが授業以外の時間に教師と口をきけば、チクったと放課後の体育館の裏でシメられた。
わに丸だけではない。学年全部が醜かった。
 家の空気はどんより暗く、家族は息をひそめる日々だった。
じいじが、わに丸に自分が14歳だった時の話をした。

 貧乏で家族の多い農家だったじいじの父、わたしの祖父は、一念発起で
家族を連れて満州に渡った。
 中国人のクーリーを手伝いに雇い、韓国人とも交流があった。
小学生だったじいじは、あっという間に中国語を覚えた。

 家は農業と酪農で生計を立て、じいじは馬や牛の世話をするかたわら、
日本人学校にかよった。馬が家で生まれ、乗れるまでに育てたじいじは、今でも
前世は動物使いではなかったかと思うほど、動物を手なずける才がある。

 満州でのいい時期は、そう長くなかった。じいじが十四の年に祖父は亡くなった。
畑に薪を積み上げ、その上に亡骸を載せ、火を点けて火葬にし、夜空に見送った。
 14歳、わに丸のように、内から沸き起こるどうしようもないものと戦う14歳もあれば、
じいじのように、現実という嵐は外からやってきて、戦いながら受け入れ折り合う
14歳もある。

 戦時下の満州に影が差して来た頃、家はロシアの馬賊に襲われるようになった。
女は髪を男のように短く刈り込んで身を守り、じいじは夜、馬に乗って襲い返した。
 やがて終戦になり、じいじは家族が帰国するときに、中国人から養子にしたいと
望まれたが、悩んだ末、断わった。残留孤児の報道を見るたびに、自分も親探しを
する側だったかもしれない、とじいじは言う。
置いてくるほうが、食うに困らず幸せかもしれない、家族はそう思っていたから、
中国に残るか日本に帰国するかは、じいじの胸ひとつだったのだ。

 佐世保に上陸した家族はほとんど無一文だった。
自分のことだけで精一杯、死にそうになって帰ってきた家族は、気付けば皆、
祖父の骨をどこかにやってしまっていた。祖母ひとりを除いては。

 そのたったひとかけらの遺骨が、そののちじいじの過ごした、浜の墓にはいっている。


追って・・・
14歳の発現について以前は統合失調症という広い括り方でしたが、
現在では研究が進み、アスペルガー症候群ではないかと言われています。

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by NOONE-sei | 2004-12-26 23:52 | 百夜話 父のお話(19)


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