77夜 「血は立ったまま眠っている」


 ・「十三人の刺客」を観る予定のひとは読まないほうがいい



              一本の樹の中にも流れている血がある
              そこでは血は立ったまま眠っている        ---寺山修司
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77夜は語呂がいいので趣味の話を。

この地の町で、あちこちのライヴハウスでさまざまな歌や演奏がある音楽の祭の晩に、
遠藤ミチロウを聴いた。
スターリンというバンドもよく知らなかったし、彼の歌を聴くのは初めてだった。
今は伝説のパンクロッカーと言われるらしいんだが、聴いたらわたしにはたいそう懐かしく、
歌詞というにはむしろ詩だと思われる言葉のひとつひとつは、地下演劇そのものだった。
つまりは生と死を歌い続けているんだと思う。

寺山修司の戯曲を蜷川幸雄が演出した舞台があって、それが「血は立ったまま眠っている」。
遠藤ミチロウは公衆便所の便器に座り、猫を捨てにくるばか者の頭をぱっかんと叩く役だったとか。
そして「血は立ったまま眠っている」を歌う。
ライヴではそのあと下水道の歌を歌い、「ああ 中央線よ 空を飛んであの娘の胸に つきさされ」と
友部正人の歌でアンコールに応えた。

ところでその舞台で娼婦を演じた女優が、映画「十三人の刺客」で四肢欠損の娘を演じている。
崇り(たたり)って恐ろしい言葉だろう?天願というのもそら恐ろしい。
天願成就という言葉は聞いたこともないが、仏教用語にありそうでこわい。
「心願成就」は個人の願い、一切衆生に対して向けられたのが「本願成就」、
それだけでも風呂敷は大きいのに、その上をゆくような天願は想像もつかない。
「十三人の刺客」は、そんな恐ろしい名を持つ監督(三池崇史)と脚本家(天願大介)が、
時代を間違えて生まれ空しい帝王学に生を実感できない歪んだ藩主を藩士たちが、
世のため下々(しもじも)の人のために殺(あや)めるという物語、それを映画にしたものだ。

工藤栄一が監督した前作は文字通り世のため人のためという大義名分をかざしていたのだけれど、
今作は、非道な行ないをいくつかエピソードにして観せるんだが、
切腹の肉を斬る音、矢が刺さる音、藩主になぶられる女たちの鼻水やよだれや血の涙、
そして四肢欠損にされた一揆の首謀者の娘を見た藩士の生理的にタガが外れた怒りを
つまりは最後の暗殺までの原動力としたところが三池崇史の趣味の世界なんだろう。
それらまきちらしたグロテスクなものたちは、三池の悪ふざけとしてしか回収されていない。

過剰に神経を逆撫でするような事象に対して真実を見るという型の人間っているだろう?
むしろ、そうした刺激にしか真実を見出せない狭いところに入り込む型というか。
たいそう疑り深いがゆえに、陰または影に実感を得、陽または日に鈍いというか。
三池のそうした面を映画という大掛かりな手法で見せられたようで気が重い。

映画を観たあと、ふいに「新必殺仕置人」の最終話を思い出した。
昔の記憶なのでほんとうは違うかもしれないのだが、
廃人になった鋳掛屋の巳代松に、いつも使用していた竹筒鉄砲を持たせて大八車に乗せ、
仲間のおていと正八がこれで命が尽きることを覚悟の上で押してゆくラストシーンだったような。
三池の映画にこの切なさはない。本当は描きたくてたまらないように感じられるのに、
なにがそんなに怖いのだか、悪ふざけで隠してしまう。
そうそう、調べたら「新必殺仕置人」は監督が工藤栄一だった。



今夜のお写真は秋の草花を。
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彼岸花の群生地。


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リンドウ。山のリンドウは九月でおしまい、観賞用は色もさまざま。
バンコランで夕暮れにお写真を撮るのはたいそうむずかしい。焦点を合わせられない。


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田んぼの畦道のツユクサ。田んぼは稲刈りで忙しい。


「血は立ったまま眠っている」
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by noone-sei | 2010-10-07 04:12 | 趣味の書庫話(→タグへ)


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