99夜 死の顔


塾の先生が、忌引きで休暇を取った。

王様は、それを子どもたちに知らせるか知らせないか迷う。学校なら伝えるだろう。
大きな塾ならピンチヒッターを立てて、学習に穴が開かなければ特には知らせない。
さて、うちは小さな塾だ。知らせることにした。

「△△先生は、お身内にご不幸がありました。お父様を亡くされて、明日、お通夜があります。」
普段耳慣れない言葉を聞かされて、子どもたちはぴんとこない。

  おとなはぐっとこらえて泣き言を言わないから、
  復帰してからもきっとそのことには触れず、いままでどおりだろうということ。
  ただ気づかってやってほしいということ。
  とりだててできることはなにもない、なにもないが、
  ああ、そういうことがあったのだ、と知っていてほしいということ。

それらのことを話し、子どもたちが少し状況が飲み込めたところで聞いてみた。

  お葬式に行ったことのある人は?・・約半数。
  では、死んだひとの顔を見たことのある人は?・・そのまた約半数。

見慣れないものをみて気持ち悪いと思った子も、硬くて怖いと思った子もいるだろう。
これから経験する子も、生とおなじ分だけ死にも尊さがあることに、いつか気づいてくれるといいが。

99夜にふさわしく、死の話を。

死の顔は、何度見ても見慣れるということがない。
小さい頃に見た自ら死んだ人の硬い顔は忘れられないし、
あたりまえのように「またあした。」と言って別れた同級生が突然、朝になったら冷たくなっていて、
駆けつけて見た、まだ自室の布団に眠るままの顔の白さも忘れられない。

自らの死は、その死にいたる背景への周囲の思惑が死体のまわりにふわりふわりと浮遊していた。
突然死は、『生きているような、、』、という、息子の死を受け入れ難い家族の気持ちがあり、
しかし一方では儀式への準備が進む。彼を布団に寝せたまま、二階の自室から階下に下ろし
棺に入れるという、家族のおもいを断ち切るような現実に手を貸した。


まだ死を知らなかった幼いころのこと。
生まれて初めて死の顔を見るより前に、父に聞かされた浜の話がある。

父が少年時代を過ごした浜は、港であり、炭鉱の町でもあった。
 石炭を求めて掘り進めると、湯脈にあたることがある。
豊富な湯は、汲み上げられてもなおどんどん湧き出し、炭坑の外にパイプから溢れている。
ドラム缶に入れ、水でうめた湯はまるで風呂だ。
 ある冬、浮浪者がとぷんとその中に入った。入ったが最後、寒くて上がれない。
幾日も幾日も、父はそこに行くたびに浮浪者が風呂につかり続けるのを見た。
戦争に敗れ、もとより生きる気力そのものが希薄な浮浪者だったから、誰も風呂から引き上げない。
そうしているうちに、からだは水気でふやけ、真っ白になり、それでもつかり続けて
やがて膨れた死体になった。誰がその死に気づき、引き上げ、供養したかは知らない。

この話を聞いたのは、幼い頃に住んでいた山あいの温泉町の、旅館の風呂。
どの家も自宅に風呂はなく、旅館や共同浴場にでかける。
わたしは旅館の風呂が遊び場で、そこではやくざの入れ墨を見ることもあれば、父からは浜の話を聞いた。

死の原風景はわたしの網膜に、映像になって残り、以来、湯でふやけた指を見るとその話を思い出す。

その後、大人になってからは何度も通夜や葬式に出、いくつかの死の顔を見た。
感情が動き出さぬよう、心に鍵をかけて臨むことにしている。
 見ることはお別れだ。
友の死の知らせを遠くからもらったときには、葬式に出席したもののついにその死の顔を見られずに、
わたしのなかでおもいが断ち切れず、彼女はいまでもいつまでも、別れを言ってくれない。
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by NOONE-sei | 2005-04-11 22:58 | 百夜話 本日の塾(9)


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