60夜 くちづたえの書庫まつり


 ・今夜のおはなしは長いから時間のあるときにどうぞ


くちづたえ ・・って言ってみてくれ。
「づ」って、む「づ」かしい。いやまちがい、むずかしい発音だと思わないか?

前歯が一本、無くなったんだ。
根元で折れてやむなく抜いてしまったので、わたしは今、歯抜け。
子どもの歯抜けは大好きで、うっとりするくらいに好きなんだが、
自分のこととなると、歯抜けは間抜けだ。上あごの骨が固まるまでは義歯となる。
歯医者は、舌の学習力と記憶力はめざましいから、意識して発音すれば大丈夫と言う。
時期が来なければ矯正もできないので待つしかない。

わたしはがちゃ歯なので、しょっちゅう歯医者に行くんだが、面白い話が聞ける。
たいへん大きな前歯なので、抜くのはさぞ後で痛むだろうと思ったらそうでもなかった。
下の親知らずを大学病院に紹介されて手術したときには、それはひどい目にあった。
麻酔を足してくれと、術中に数回言うほど長丁場だった。
ところが、下あごの骨より上あごの骨は薄く血管が密集していないので、痛みも軽く、
上の歯を抜くのは造作もないんだという。ほんとにそのとおりだった。

さて今夜のお話はくちづたえにまつわること。
先日、大学で講義を聴いた。
「キリスト教文化との出会い」と題して、西洋と古代日本の神を比較するというもの。
同席者に「セイさん、古事記って誰が作ったの?」と聞かれた。
古事記についてほとんど知らないので「くちづたえ、いつのまにかのお話だよ。」と答えた。
実際にはくちづたえから文字にする段になって、天皇家の出自に都合のいいように
物語のおしまいは歪められたようなのだけれど。

『聖なるもの』という本(オットー著 岩波文庫)が紹介された。著者は神学者。
西洋の神の存在を証明する試みは過去からなされていて、合理的に言葉で論証したり、
カントのように、人が道徳的に生きるために神は必要、故に存在すると論じたりさまざま。
オットーは神に、神霊的なイメージを持って論じた。
畏(おそ)れるという感情は、原始的な神秘の戦慄だと。
聖なるものとはなんだろう。清く正しく輝く善というイメージだけでは弱い。
その奥底には戦慄を伴なった神秘がある。それをデモーニッシュ(魔的)と表現した。

キリスト教にみる神の聖性は、原始は抑えられやがて光明なるものとして洗練されてゆくんだが、
では古代日本の神もそうだったのかというのが講義の本題。
この世とあの世。この世が天と地に分かれたとき、天には名があり地はただ混沌として名もなかった。
天は高天原(たかまがはら)という名を持ち、そこにイザナギ(男)とイザナミ(女)が降り立ち、
結婚してイザナミは島を産んだ。
国土を造って火の神を産んだらイザナミは燃えてしまって黄泉の国に行った。
イザナギが黄泉の国で覗き見たイザナミはウジが涌き周囲では雷が鳴りすっかり死者だったので、
恐ろしくなり諦めて帰ってきた。
死んだ妻を取り戻しに冥界へ行ったが、振り返ったため叶わなかったオルフェウスの話は
ギリシア神話にもあり、こうした死者との別れの挿話は万国共通なんだろうか。

黄泉の国で穢れたイザナギは川で禊(みそ)ぎをした。
そのときたくさんの神が産まれ、最後に産まれたのがアマテラス(女)とスサノオ(男)だった。
スサノオの乱暴振りでアマテラスが天岩戸(あまのいわと)に隠れたのはわたしも知っている。
けれどもそれは怒りによってではなく恐れによってであり、岩戸から出るよう計らった神々も、
岩戸の前で神祭りをし賑やかに皆が笑う。なんだかのんびりした感じがしないか?
古代日本の神は荒ぶるものに寛容で、戦わずにデモーニッシュは鎮められる。

スサノオは天の国を追われたので根の国に行きたいと言った。
根の国は堅い島で、この世以外にあるあの世のひとつ。
スサノオは地の国を経由して根の国までの旅路、オオケツヒメ(女)に食べ物を貰うんだが、
覗き見たら鼻やら口やら尻から馳走が出る。
穢(きたな)くして食わせたな、と切り殺してしまったら、その遺骸からさまざまな種ができた。
農耕のきっかけを天を追われた荒ぶるものスサノオが作る。
光明なるものではなく、荒ぶるものが人間に恩恵をもたらした不思議。

こんなふうに、古事記にみる古代の日本は、荒ぶるものだけに悪を負わせることをしない。
最終的に神のデモーニッシュは光明なるものとしてひとつになるにせよ、
そのプロセスは抑えるための戦いではなく、鎮めるための葛藤だ。
原始は光明へと洗練され変化するのではなく、古代の日本は原始を取り込んでゆく。

講義を受け終えてみたら、くちづたえの物語「古事記」は、
原因や結果を突き詰めるということのない鷹揚な物語だった。
自然界にたゆたい、受け入れるのではなく受け入れられよ、の物語だったのかもしれない。


c0002408_16494395.jpg
右の妖怪の絵本はおまけ。


□おまけ
c0002408_16501317.jpg
c0002408_16502556.jpg
58夜で書いた本はこれのこと



□もひとつおまけ
パタリロで撮っておいた野菜のお写真を載せなくちゃ。もう六月だ。
畑では玉ねぎがしっかりとしてきた。今は立っている茎が倒れたら収穫できる。
キャベツも小さいながら玉を結んできた。
それらはまた次の夜に。
c0002408_17233934.jpg
地元農協の料理教室にて。講師は和食料理屋の親方たち。


c0002408_17255115.jpg
c0002408_1726657.jpg
c0002408_17262155.jpg
たらの芽、丸ナスの揚げたて。


c0002408_17273869.jpg
揚げた野菜と身欠きニシンを だしと醤油と干しえびの煮汁で煮る。



c0002408_17294884.jpg
c0002408_1730160.jpg
c0002408_17301425.jpg
アスパラ、うど、きゅうりはサラダの材料。
野菜は皆水に放し下ごしらえ。きゅうりの端が見える?



c0002408_17323360.jpg
c0002408_17333298.jpg
油揚げと炊きたてセリご飯。



c0002408_1734127.jpg
汁物はくきたち菜と凍み豆腐。山盛りの野菜サラダ、野菜づくしの食事の完成、いただきます。






春のころの犬たち

c0002408_17361563.jpg
c0002408_17362923.jpg
菜の花とシワペロ



c0002408_17365629.jpg
c0002408_17371347.jpg
歯抜け写真。上はペロ コ が乳歯が抜けた小さい頃。下は現在のシワ コ 、ちゃんと毎日歯磨きしてます。


追記 犬たちを食べ物にたとえると・・
ペロ コ :わたしは雪見大福だっ。
シワ コ :わたしはシュークリームです。
[PR]
by NOONE-sei | 2010-06-02 17:38 | 書庫まつり(12)


<< 61夜 日曜日の書庫まつり 59夜 綺麗な絵本の書庫まつり  >>