45夜 ひとりの愉しみ


本が呼ぶってことはないか?
銀や金に光るような背表紙に目がすいっと行くんだ。
そんなふうにして本屋で手に取った本は、「取る」というよりも、「採る」か「捕る」だ。

この地では本屋らしい本屋が今はなかなか見つからない。
昔はバス停の時間つぶしに入る、小さな間口に小さく痩せた親父が店番している店があった。
不思議なことに店の床は道路から一段低く、歩く革靴と運動靴の音を聞き分けられる寄木(よせぎ)だった。

役所のすぐ近くの裏路地だったので、 
実用書から純文学から耽美なもの淫靡なものまでぎっしりと棚が埋まっていた。
いや、役所の人間が皆そうだからというわけじゃないが、頭の片隅を現実世界から
少し離していられる職種というんだろうか、世俗離れしたものをまだ読んでいられる者が多くないか?

そこは篠原勝之や丸尾末広やつげ義春を飼っているような本屋だった。
探せば、76年から十号だけ刊行されたという新書館の雑誌、
「ペーパームーン」なんかも置いてあったのかもしれない。
別冊「グレープフルーツ」にはハルノ宵子なども掲載されていたのだそうで、
その頃それらの雑誌を知っていれば、読んでみたかった気がする。

自覚的に偏愛するという志向はいつの頃にもあって、
奇妙なものに魅かれ、それがなんなのか知りたくなるのは自然なことじゃないかな。
いつしか、かたくなに興味対象を希少の文化に求める者や、
いつしか、創作者でありたいと望む者が生まれたりするんだが、
なかには市井(しせい)の趣味人のような美学者がいてもいいように思う。
創作をする者と美学をする者には隔たりがあるんじゃないだろうか。
知識に感応して深く発酵する愉しみは替えがたい。
けれども創作は架空を醇化(じゅんか)させる、得たものを切り捨てていくことだ。
感応したまま創作をすると、脂肪のついたものができあがることもある。

先日、大きな町に行った。大きな本屋には、棚のあちこちに仕掛けがある。
「○○書店」と銘打って、その町に住む数名の作家選りすぐりの本が棚に並んでいた。
おすすめ本リストという印刷物まで用意されている。
彼らを形作った一部であろう本の群の並びは愉しかった。物語作品が多くあったことも興味深かった。
作家たちの作品も並んでいて、感応と創作をどう折り合わせたかを垣間見られてこれも愉しかった。

「佐伯一麦書店」の棚から、本が呼んだ。ちかちかと光ったのは文庫本。

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    カレル・チャペック 『園芸家12カ月』 中公文庫
    ルナール 『博物誌』 新潮文庫

これを王様にあげよう。
ひとりの愉しみを満喫してもらって、あとでお裾分けにいい話をいくつか聞かせてもらおう。
本には呼ばれるのだが、当たりのそれを読むのはいつも王様で、いつもわたしではないんだ。



■書店を開いていたのはこの、仙台在住の作家たち。
皆、大きな賞をもらっているそうなんだが、いままでぜんぜん知らなかった。
    ・佐伯一麦・瀬名秀明・三浦明博・熊谷達也



■仙台市はこんなところ
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街の様子


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街路樹が並ぶ大通り


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駅の近くの裏通りにはこんな戦後の名残りの市場が。


仙台・宮城オールロケの映画を観た。映画制作や撮影に地方都市が全面的に後押しをしている。
 
    映画ゴールデンスランバー
                       せんだい・宮城フィルムコミッション協力  
                       原作:伊坂幸太郎 仙台在住
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by noone-sei | 2010-02-19 03:51 | 趣味の書庫話(→タグへ)


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