5夜 幼年期の終わり


好きな邦画で、『ジュブナイル』というのがある。
少年達と未知のロボットとの、ひと夏の出会いを描いたSFファンタジー。
少年期にしか味わえないような出会いと別れが甘酸っぱかった。
その時の子役はすっかり青年になって、ときどき映像で見かけるとやっぱり甘酸っぱい気持ちになる。
少年期、ジュブナイル(juvenile)という言葉のひびきがなんだか甘くていいので、
幼年期はどうだと思って調べたらただのChildhood、なんだつまらない。

本や服や絵の道具などなど、身辺にあるものを整理している。
身辺整理とはよい言葉。もうすこしだけ簡素な暮らしがしたくなった。
好きなものに囲まれて暮らしたいけれど、好きで集めたものに埋(うず)もれたいわけじゃない。
サブカルチュアもキャンプ(スーザン・ソンタグ)も、その概念はよくわからないけれど、
ソンタグの言葉の一部を借りながら言えば、不自然なものを好み、部外者には近寄りにくく、
少数者の趣味の世界のものが増えてしまった。
結果的にそうなっただけだが、たとえば趣味の本を書庫にしまっておいても、もう一度開くことはまずない。

自分にとって、ほんとうにこれからも友であり続けるかどうか、そう思えないものは整理する。
と同時に、少年期というのか少女期に読むべきだったものも読み始めている。
物語を読んで幼年期を過ごしたわたしは、少年期に偏ったものを読み、青年期からは本を読まなくなった。
けれど、本も漫画も、活字という点では等価値で、そういう意味ではわたしは今も活字が大好きだ。
最近、ダンボール箱ひとつ、スタンダードな本を贈ってくれた方がいて、
理由は聞いていないけれども彼も本の整理をしているという。
その本のすべてを読むことは無理だから、王様に手伝ってもらおうと思っている。

鰐号がひとり暮らしをすることになった。
将来、この家にふたたび暮らす日があるのかそうでないのか、先のことはわからない。
わたしの本をほとんど読まなかった息子に、わけのわからない趣味のものを残すわけにはいかないだろう?
身軽になるにはいい機会、少年期を新たになぞり直しながらの身辺整理。
鰐号はいよいよ幼年期の終わり。



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これは初めに訳されたもの。
わたしが読んだのは最新訳の『幼年期の終わり』 (池田真紀子訳 光文社古典新訳文庫)
1953年初版から36年後に、新たに第一章が書き直された新版。
読んだら、今読んでいる『エデン』『緑の王』にも影響を感じる情景描写があり、
以前なら『銃夢』『天空の城ラピュタ』にもあるように感じ、たどればまだまだある。漫画だけど。
もっと以前なら小説『家畜人ヤプー』にも影響があったと聞く。
昨年のいまごろ、アーサー・C・クラークは亡くなった。


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上は『幸福の王子』を下敷きにした透明な読後感の小説。さわさわと悲しい。
下はこれこそ少年期に読むべきだったもの。
これまで幾度も途中で挫折してきたが、今度は終わりまで読み終えられるだろうか。
これを読んだら、少年期の終わりと言える?
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by NOONE-sei | 2009-03-16 03:24 | 趣味の書庫話(→タグへ)


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