絵のような 文のような  弐


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冴え冴えと脳が働くわけでもなく、
今のわたしは使いものにならないわけで、
おはなしも文章も低迷している。
読んでいるひとたちは、こんなものでおもしろいだろうか。
申し訳なく思う。

過去の夜話(よばなし)を読み返すということは、あまりしない。
それは過去に遡れば遡るほど、こんなことを書いてよいのだろうかと、
どきどきひやひやしながら、薄氷を渡るような心持ちで書いたからで、
それは拙(つたな)いものだったけれども、いつも決心をして書いたからで、
張り詰めていたひとつひとつのそれら夜話は、今のわたしには書けないからだ。
それらに、少なくとも脳が鈍っている、今のわたしの緩さはない。
書けないものを目でなぞるのはつらい。


名は体を現わすというだろう?
名には、文章をつないで想起させるほどの力があって、
先の夜話 壱に登場させたほとんどよく知らない作家であるのに、
小川未明、その文章がどれほど読むわたしを救われない悲しみに蹴落とすか、
新美南吉、その土着がどれほど読むわたしを木枯らしに立ちつくさせるか、
それを思うと背表紙に手を伸ばせない。
鈴木三重吉という名からは、先にも言ったとおり、なにも感じないからよくわからない。

先ごろ、文章をある誌面に掲載される機会があり、
うっかり筆名を打ち合わせずにしまったものだから本名に近いもので載って驚いた。
わが家の子犬はうちに来る前、仮の名が「セイ」だったという。
理由は聞いていないけれども、天然なところはよく似合っていたと思う。
・・どうせなら、ペンネームもどき、犬の仮の名と同じでよかったのにな。


                     * *


さて今夜は本のおはなし。
・・ではなくて、初山 滋が挿画を描いている本が綺麗だったので、そのお写真を。
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となりの道化師は宇野亜喜良の挿絵の絵本。
このお話はまた次の夜に・・。





本日の「おとなしい」子犬と「ありのまま」の子犬

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by NOONE-sei | 2008-12-12 03:14 | 絵のような 文のような(5)


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