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49夜 今年はおりこう

夏の足音が感じられるようになったんだよ。
繰り返し繰り返し規則正しく訪れる花の順番や鳥の声。
・・ほんとうのことを言うと、急におりこうになったのだけれど。

梅、彼岸桜、花桃、連翹、タンポポ、ソメイヨシノ、しだれ桜、実の生る桃、梨、林檎、
八重桜、ハナミズキ、シャクナゲ、ツツジ、、、、
ほらね、ちょとまちがっているかもしれないけどだいたいの順番が言えるよ。

昨年の春に、友人がしきりに
「今年は花の順番がおかしくない?おかしくない?」
そう言われても、追いつけない速さで駆けるように咲き続ける花に、
昨年のわたしはただ圧倒されていた。

今年は狂ったような咲きかたじゃなかった花々をちゃんと見ていた。
例年の順番がどうで、今年がどうなのか、やっとわかった。
放射能が降り注いだ昨年がどうおかしかったのかも、やっとやっとわかった。

ただね、花が終わってしまうと、桃や林檎や梨の果樹が見分けにくくなる。
それは、果樹畑を持つ農家が精一杯の作物を作るために、
汚染を取り除くために木肌を剥(む)いてしまったから。

田んぼには水が入った。
虫を啄(つい)ばみに水に鳥が入る。
昨年は消えてしまった鳥の声が今年はよく聞こえていて、
これがこのウェブログの文章を目で読む人たちの耳に聞こえないのが
たいへん残念。




今夜のお写真は足音を聞いて欲しいような花々を。




□庭の花々
イチゴの花。


オダマキ。


クリンソウ。


シャガ。


シャクナゲ。福の島の県花だったか?


スズラン。


ツツジ。


パクチーの花。


忘れな草・二輪草・シャガ・クリンソウ・アップルミントで作った花かご。



□漫画






大友克洋がやっと動いた。
懐かしいので「AKIRA」を発掘して久しぶりに再読。



もうひとつのおりこう
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# by NOONE-sei | 2012-05-24 01:25 | 趣味の書庫話(→タグへ) | Trackback | Comments(6)
48夜 駆け足の春

いそがなくちゃ、いそがなくちゃ。
春は急に駆け足になった。
今夜はおはなしよりも、時計を気にしているアリスのウサギが、
せっせとお写真を載せてみるよ。


□福の島の春
小雨が降る日の連翹と桜。
遠くの山はけぶって見えない。








晴れた日のつい先日。
天気が良すぎてお写真がかしゃかしゃした画面なのが残念。


まっすぐ正面が吾妻山。
もう、種まきウサギが山の右手斜面に跳ねている。
田んぼには赤や青のトラクターが入っている。桃や梨の花も満開。
そのお写真は次の夜に。


芳しい水、芳水と呼ばれるしだれ桜。


・・でも、やっぱりしだれ桜って、不気味だと思わないか?


しだれ桜のすぐそばで、田植え用の苗を作っていた。
ビニールハウスの中にびっしり。発芽には温度が必要なのだって。



うまいがないろいろ
# by NOONE-sei | 2012-05-02 01:10 | Trackback | Comments(8)
47夜 春よ恋

一年のうちで、日本は本当に南北に胴が長い島なのだとしみじみ再認識するのがこの時季。
桜前線がやっとこの地にも北上して、街なかの桜が満開になった。
でも我が家の周囲は五分咲きくらい。山あいの温泉町は家から二十分ほど、
こちらはまだ全然咲いていない。もう少し山を行くと雪まで残っている。
いつもよりも、十日くらいは全体に花が遅い。
昨年の春の、気が昂(たか)ぶったような、気がふれたような開花にもぎょっとするが、
寒さが長引くこの花々の気の持たせようにも、なかなかやきもきさせられる。

つい先日は本家の叔父の命日だったので山の日当たりのよい斜面にある墓に参った。
フキノトウが開きかけてそれはそれで可憐な花のようで、
うつむいたようなカタクリは周囲の空気まで薄紫に染めて、
しゅっと立った細長い葉の間に硬いつぼみやほころんだつぼみや黄色に咲いた花の水仙、
それらが一面の、春の始まりの美しい墓地だった。

我が家の庭は既に春は目覚めて、福寿草もカタクリも花を終え、
一輪草や二輪草が咲き始めている。
散歩に行くと、連翹の黄色と水仙の黄色、椿だか山茶花だかが桃色や赤。
道端のその花を犬はぱっくりと食いながら歩く。




今夜のお写真は山の晩冬と庭の春を。


□山
この日、町では桜が満開って信じられない。


でもよく見ると山肌が見えるくらい、雪はもう融けているんだ。


ちいさなフキノトウ。


寒いお写真ばかりじゃつまらないので、白い湯の風呂をどうぞ。




□庭
庭のカタクリ、ちょうど咲いていた頃のお写真。


タネツケバナ。


ホトケノザ。


福寿草、終いの頃。


ユキノシタ。この山菜の天ぷらは旨いのだけれど、この地では今年も山菜はあまり口にできない。


二輪草がもうじき。


ペロ コ の好物、これは山茶花?




■おまけ
この春いちばんのお薦めしたい漫画。
・「路地恋花」ろおじコイバナ(麻生みこと)
どうせ少女たちが好きなコイバナでしょう、などと侮ってはいけない。
京都の町屋に敢えて住む、若い絵描きや細工職人や工人の手仕事をたっぷり資料検証して
麗しい物語と京都弁で味付けしたオムニバス。

これは本の手仕事の一場面。


 十四歳
# by NOONE-sei | 2012-04-25 01:11 | 趣味の書庫話(→タグへ) | Trackback | Comments(12)
46夜 誕生日、天の寿ふたたび

鰐号から電話があったので、猫の誕生日だったと教えた。
即座に「ハム、やった?」と聞かれて気づいた。
我が家の犬たちは、誕生日にだけ、一枚ハムを貰っていたのだが、
鰐号はそれを憶えていたわけだ。

わたしが生まれたときから動物たちは身近にいて、誕生日のないものたちのほうが多かった。
誕生日とか記念日とか、そういうものを幼稚園の行事で身に着けたのか、
鰐号はとりわけそういうものに敏感だったので、いつのまにかわたしもそれに沿うように、
家族や周囲のアニバーサリーを正月に一年分カレンダーに書き込むようになった。
だからといってわざわざ知らせるわけでもなくこころ密かに
ああ今日は△△の誕生日なんだな、と思うだけだったりするし、
あるいはわざとわざわざ、今日は結婚記念日だろう?と
忘れていそうな夫婦に嫌がらせをしてやったりする。
王様の誕生日だって、ずっと憶えられずにいたのが、
やっと近頃カレンダーの書き込みのおかげでおめでとうが言えるようになった。
じゃあ誕生日を日付で言えるかというと、王様には悪いがものすごくあやしい。

猫は虫かごに入って公園にいた。
拾ったもののその家の子どもは猫アレルギーで飼えなくて、巡り巡ってうちに来た。
ちょうど鰐号が家を離れて東京に行く直前で、うちでは家族がひとり減ると動物が一匹増える。
鰐号が猫を引き取ることに決め、名まで付けたが実は鰐号も猫アレルギーで、
猫が初めてうちに来たときしか抱いたことがない。
しかし鰐号の動物との距離感は本能的で、特にべたべたするでもなくあっさりと付き合いながら、
シワ コ は絶対服従でありペロ コ はいつも鰐号を気にしている。
あのペロ コの注意が集中する鰐号を つまりはテン コ もいつも見ているということ。

そのテン コ の誕生日はエイプリルフールにした。
誕生日を決める段になって、エイプリルフールをずらして誕生日を決めた犬の話を引き合いに出し、
うちはちょっとおばかちゃんだから敢えてその日にしようと笑った。

その犬が天逝(てんせい)した。
少し前には友人のところでも、つい先日は別の友人のところでも、相次いで飼っていた犬が天逝した。
本当は「天折」が正しいのだろうけれど、漢字が目に映るイメージは「天逝」だろうと思う。
動物の逝き方というものは天晴れ(あっぱれ)で、天という字が似合う。

猫にハムはやらなかった。
特になにかするつもりもなかった。ただ、憶えていてやりさえすればよいと思っていた。
すると人間のために買っておいたイチゴをペロ コ がひっくり返し、テン コ と食っていた。
愛情込めて言うが、テン コ はちょっとおばかちゃんなので、
それら逝った動物たちの気配を背負ったところでたいして重くもない。
テン コ が誕生日を迎えるたびに、友人とそこにいた動物たちをそっと思い出そう。
知っていた?テン コ は天子という名でもあるんだよ。



この地はまだ時折雪が天から舞い降りてきて、白い梅がちらほら見かけられるばかり。
桜にも水仙にも程遠いけれどもこの花を載せよう。 こころより


# by noone-sei | 2012-04-10 01:09 | Trackback | Comments(6)
45夜 天の寿

父が青年期を過ごした浜からもう少し南に下った、
北関東の大伯母(おおおば)が天寿を全うした。
葬式の引き物には紅白の饂飩(うどん)があって驚いた。
百に近い高齢なので、弔う葬るではなく祝い事なのだという。
熨斗(のし)に「天寿」と記してあるのを初めて見た。

忌みごとがそのように転じるのはたいそう不思議だ。
ものごとは、見方ひとつで簡単に転じることができるとは思わないけれども、
からりと転じるまでの中間には転じきるに至る過程があるのだけれども、
ああ、そういうものなのだなぁと、妙に納得がいく決まりごとは、
ひとの気持ちを落ち着くべきところに連れて行く。

組になった言葉があるだろう?
天と地、生と死、それらは上から下に視線が動くような気がして、どうも陰気だ。
内と外、陰と陽、喪失と再生、それらならば左から右に視線が動く。
しかも、人に教わった最近覚えたてのイメージがあって、
喪失は再生を飛び越して、奪還へと飛び立つ。

足踏みしているときには言葉少なでもいい。
寡黙と饒舌の中間には、転じるほどの威力はないが、思慮という落ち着きがある。




                         *   *   *




愛機バンコランは天寿を全うせず、復活した。
愚息、鰐号は大学に復学することになった。
わたしのPCは天寿を全うしたけれども、かなりのデータを持っていかれた。
震災で半壊した塾を 大家さんに頼んで塾生の卒業まで続けさせてもらったけれども、
三月末日をもって閉塾した。

そのようなわけで、イメージの転換や組になった言葉のようには
現実というものはなかなか動き出さないけれど、
この思慮の時を閉塾に伴う整理に追われながら過ごすのも、
なかなかできない経験じゃないかな。
これからのことはそれから。





□音楽は天の寿
友人に貰った心地いい音楽はフランス語やポルトガル語、
どちらも流麗で同じような言葉に聴こえる。
音楽は落ち着きの素(もと)だな。



一歳
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# by noone-sei | 2012-04-04 00:11 | 趣味の書庫話(→タグへ) | Trackback | Comments(10)


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